陽は落ちたといってもまだ宵の口、本来なら住宅街から漏れる生活の光が、割れて放置されたままの街路灯の代わりに通りを照らしている時間なのだが、今日はそれがない。ぽっかりとそこだけ大きな掌に包まれたみたいに暗い一角に、まさに自分の帰る場所を見つけてクラウドは嘆息した。
神羅崩壊後魔晄の供給が八割方ストップして最低限のライフラインを確保するのも難しい現状、魔晄に代わるエネルギーとして化石燃料へのシフトが進んでいるとは言え、電力供給が需要に追い付いていない。停電なんてそうそうあってもらっては困るのだが、珍しくないのが現実である。今日みたいに。
しかも間の悪いことに外は雪、せっかく舗装された道も、凍結してしまえば容赦なくバイクのハンドルを奪う凶悪なトラップに早変わり。アイスバーンの恐怖。自然の脅威とはまったくたちが悪い。
手袋越しに冷気が張りついて、顔に張りつく髪の毛もすっかり冷えきって針の様に肌を刺す。
バイクのライトで照らされて浮かび上がった薄い氷で覆われた道路に、幼い頃故郷の村で幾度となく味わった痛みを思い出し自然と顔が険しくなる。転んだ記憶はなくしても、痛かったという恐怖は身体に染み付いている。
あの頃とは違って馬鹿みたいに丈夫な身体になったと言っても、それは別に痛いものが痛くなくなったわけではなくただ痛みに対する耐性があるというだけで、バイクで転けて頭でも打ったら洒落にならない。しかも寒い。もうこんなに寒いと全部が億劫なのだ、バイクのハンドルを握ることすら。
早く家に帰って暖まることができるなら少しは気力も湧いてこようが、家に帰ってもどうせ電気も通っていない、つまりは暗いし寒い。そんな現実を突き付けられて、もうやだな、なんもかも、とお得意の憂鬱に身を絡めとられたのも仕方ない。
さすがにこの雪空の下、野外に繰り出す猛者はクラウド以外に見当たらないが、ごそごそと動く人の気配が澄んだ空気に乗って届き、灯りのない街も確実に生きていることを知る。
住宅街を突っ切って、KEEP OUTの黄色いテープと瓦礫の山を背にした中層マンションの一室がクラウドの寝床である。
メテオの災厄を奇跡的に乗り切ったマンションは、一見無人だがクラウド達以外にも居住者がいるはずである。人付き合いが得意でないクラウドは、その辺りの煩雑な御近所付き合いはザックスに全て一任しているから管轄外だ。
もっともその御近所さまも、とても堅気とは思えない連中ばかりだったから、クラウドが両隣の住人の名前すら知らないのは致し方ない。他人に関して詮索無用不干渉、とはプレート下のミッドガルがスラムであった頃の不文律であるが、この辺りではそれがまだ生きている。
オートロックが壊れ、歪んで立て付けの悪くなったドアは取っ手を回しても開かずの扉、自然の鍵だ。クラウドが軽く蹴れば金属の擦れる嫌な音を出して開いた。
もう少しいい住環境を求めるべきかとも思う。
いまさら物取りなど怖くもないからセキュリティの面では不自由していないのだが、いかんせんなんと言ってもエネルギー不足となればまっさきに電力供給が停止するような場所だ。ミッドガルの繁華街からは遠いわ部屋は汚いわぼろいわ、住心地が悪すぎる。
金ならある。何でも屋の仕事も順調だ。
それでも、自分たちの様な訳ありが過ごすにはこんな場所がお誂え向きだと、言い切れてしまうのには泣きたくなる。


「おー、おかえり」
外気とほとんどかわらない寒さに、出迎えるザックスの息も白い。
ただいま、と応えようと口を開いたとたんに、鼻腔に染みたなんとも言えない煙たさに、クラウドは遠慮なく顔を歪めた。
「……何、この臭い。すっごい臭いんだけど」
暗い中でもはっきり物が見えるのは魔晄の瞳様様。それはザックスとて同じで、暗い中でもはっきりとクラウドが顔を歪めるのを認めて、ははと笑う。
「非常用の蝋燭が切れてさあ、で仕方ないから使い掛けのアロマキャンドル出してきた。ほら、捨てようって言ってたやついっぱい残ってたから」
「……捨ててなかったのか、おまえ」
言われて部屋をのぞいてみれば、確かに電気が止まって役たたずになった電球の代わりに蝋燭の炎が無数に揺れて、周りの境界線をオレンジでぼかしている。
しかしこれは。キャンドルと言われれば確かにロマンティックといえなくもないが、この数はなんというか。
「……百物語?」
「いや、違うから。季節外れだから。明るいだろ、役にたったじゃん、先見の明?」
所謂怪我の功名的な偶然を、まるで自分の手柄のように無意味に誇るザックスに、阿呆とばっさり切り捨ててやる。
悪怯れなく笑いながら、不細工な顔して、とクラウドの頬に触れるザックスの手が凍えて硬い。誰のせいだと文句をつけるのも億劫で、クラウドはザックスの手に首を傾け、目を閉じた。身体中の筋肉が冷えて硬い。目蓋も例外ではなく、できるならこのまま眠ってしまいたい。
電気が止まって空調も効かないせいで、室内も屋外と同じように寒い。雪と風が防げているだけマシなのだが。
締め切った部屋は、数ヵ月前にザックスが買い集めたアロマキャンドルの匂いで満ちていた。一瞬でブームが去って段ボールの中に放置されていた哀れなアロマキャンドルは、漸く見た日の目にそれ機を逃すなといわんばかり張り切って思い思いの香りを放ち、部屋の空気をマーブル色に染めていた。舌が痺れるのは気のせいか。なんか燃やしてはいけないものでも混じってんじゃないか。
頭痛い、と呻いてバスターソードをザックスに押し付けソファに身を沈める。
「おい、大丈夫かよ」
ぐったりとして手で目を覆うクラウドをみかねて、ザックスがクラウドの髪を撫でる。しかしクラウドの返答がないのを悟ってか(はなから返事なんて期待してなかったのかもしれないが)、ザックスはしばらくそうしてから名残惜しそうにクラウドの髪から指を抜く。
「なんか飲む?コーヒー?」
「いるかよ……」
言外にこんな匂いの中で飲み食いできるかと険を滲ませるが、ザックスはしれっと「そうか」と、堪えた様子もない。長く付き合っている弊害だろうか、多少クラウドが機嫌を損ねたくらいではザックスは動揺一つ見せずいけしゃあしゃあと自分のコーヒーだけカップに注いでクラウドの横に腰を下ろした。
それでも気遣っているつもりなのか、カップを持たない右手がクラウドの手を包む。
持つ武器がバスターソードから料理包丁にかわり、戦場から家庭に立つ場所が変わっても、ザックスのごつごつした手の感触は変わらない。
触れた部分から凝り固まった疲労が融解してじんわり染みだしていく気がして気持ちがいい。強ばった身体から意図して力を抜き、ザックスに体重を委ねる。心得たとばかり、わずかにザックスが動いて、クラウドが凭れやすいように身体をずらした。
「……疲れた」
ぽつり、と漏らす。ん、とザックスが呟いて組んだ足を戻し、ぽんぽんと太ももをたたく。膝枕をしてやろうということらしい。えらくサービスがいいな、と笑うと停電だからな、とクラウドの髪を梳きながら言う。
「わけわかんねぇよ」
「停電のときってなんかわくわくしないか?ちょっとした非日常って感じでさぁ、早く復旧して欲しいんだけど電気ついちゃうとさみしいみたいな」
平和なやつ、とクラウドは笑った。こんな寒い中一人放っておかれて、どうしてそんなポジティブになれるのか。
しかし当のクラウドも、ザックスの求めに応じてあっさり寝転んで膝に頭を預けているあたり、その非日常性に多々影響を受けている。
窓の外の雪明りが射して、部屋の中には薄青く、それがキャンドルの光とまじっていかにも幻想的。
加えて久しぶりの恋人の体温にクラウドの気持ちも弛みっぱなし、いつもなら照れもあってふざけんなと一蹴する甘い愛情も素直に享受できる。
すっかり定位置とばかり頭を落ち着けて目を閉じるクラウドに、寝るならベッドいけよ、とザックスが促す。
「もう無理、動けない」
いやいやとザックスの膝の上で寝返りを打ち、わがままなんていってみる。
「はぁ?風邪ひいちまうぜ、ったく…」
呆れたように繕うザックスの声はどこか優しく、さてこのわがままな恋人をどうしようかとひとしきり考えてから、ちょっとまってな、とクラウドの頭を退かせて立ち上がった。
「どこいくの」
頬に当たる感触がジーンズからソファになって、クラウドは不満げに声をあげた。まるで子供。めずらしいなぁとは口にせず、ザックスは笑って空になったマグカップを指に引っ掛けてひらひらと振って答えた。
「ベッドから毛布取ってくる」
「いいし。膝枕してろよ」
「馬鹿、風邪引くだろ」
ち、と舌打ちしてザックスに代わってソファに顔を埋める。そんな優しさいらねぇんだよ一瞬でも長く傍にいろよとあくまで思うだけのクラウドは、素直とかそういう要素とはまったく無縁である。口に出せばちょっとは可愛いものを、クラウドはそんなザックスの男心にはとんと無頓着。
寒い寒いと悪態をついて、ザックスの座っていた場所に残った体温を求めて腕を伸ばした。
両手いっぱいに毛布を抱えてきたザックスは、すっかりソファを占領した恋人に苦笑する。毛布を頭の上に落としてみれば、わぁと声が上がって、ややタイムラグがあってからクラウドがむっくり起き上がった。ソファの縁に腰掛けたザックスに恨めしそうな目を向ける。
「なんでそんなとこ座ってんだよ。こっちこい」
「え」
不意をつかれて間抜け面を晒すザックスの腕をつかんで引き寄せれば、簡単にバランスを崩した。背もたれを掴んで倒れこむのをすんでのところで防いだ恋人に、クラウドは容赦なくそのまま首に腕を絡める。
「あー……いい肉襦袢」
「……いや、もうちょっとなんか…ないかなぁ、嬉しいんだけど」
「うるさい」
鎖骨に顔を埋めて深呼吸をする恋人に、ザックスは嬉しさに先立って気持ち悪くなる。幸せすぎて。
「……クラウド?」
「マジで気分悪くなってきた…この臭いのせいで」
「……えぇ!?」
「あー、もう動くなよ、せっかく気持ちいいのに」
窓あけよう、と立ち上がるのもクラウドの屈強な腕に阻止されて、ザックスは非常に珍しいことだが動揺した。
どう考えたって普段のクラウドとは別人だ、こんな甘えてくるなど。
脳の中枢神経いかれたのかとそれほどこの匂いがまずかったのか、すわ次は自分の番かと思いながらも鼻の下が伸びているザックスを誰が責められよう、身体を離そうとしたクラウドを再び抱き寄せたのは愛しさ余ってのことだったが、非常に情けないスケベ顔を見られまいとしたのが本当のところだった。
「……おまえってさぁ、やっぱ良いなぁ」
「はぁ?馬鹿か」
しみじみ言うザックスを冷たく一蹴する構えを見せながら、クラウドとて離れるつもりはない。
寒いからだぜ、寒いから、と言い訳じみた事をクラウドが言えば、ザックスは鼻先突き合わせた近さでデレデレと笑い、にやける顔を隠す努力も放棄した。
「停電もたまにはいいなぁ」
「……殴っていいか?」
「いやいやいや」
物騒なクラウドの言葉も逆効果、万更でもなく鼻のしたを伸ばすザックスに、きもいとすげなく言ってから(この手合いには薄情な対応が最も効果的であるから)、なぁティファの店行こうぜ、と促す。
「今から?」
「腹減ったもん、なんかあったかいもん食いたいし」
了解を得るまで待つつもりもなく、クラウドが立ち上がる。セブンスヘブンの辺りはこんなスラムの吐き溜めと違って電気が通っている。
やっぱ引っ越したいなぁ、とつぶやくクラウドに、少し考え込んでいたザックスが真面目くさった顔をして答えた。
「電気はどうにもならんからなぁ……愛ならいくらでも提供できるけど」
「……やっぱ蝋燭と一緒に変なもん燃やしてるんじゃねーの」
愛で腹が満たせるかと一笑に付す。火全部消してから来いよ、と言い捨ててクラウドはドアを蹴った。
夜目が利くのは不便でもある。暗闇で表情を隠すこともできないと、クラウドは小さく嘆息した。