おばけ見たって人、一人やふたりじゃないんですよとウエイトレスはビールを置きざま、カウンター越しに身を乗り出して言う。
元々酒に強い体質ではない。うだうだ飲んでいるうちに底に残ったビールは温くなり、とても飲む気がしなくなった。
早く部屋に帰ってしまおうとその残ったビールを一気に煽ったところで店員と目があって、断れぬまま受け取った二杯目を手に持ったまま、ヴィンセントは相槌を打った。
出るの、と彼女はやけにきらきらした目で話す。
きっと娯楽に飢えているんだろう、それは彼女にとって貴重な非日常であるにちがいない。



――幽霊が出るの、見たこともないくらい大きな剣を持った金髪の軍人さんみたいな幽霊。あの屋敷の庭の真ん中あたりに霧の濃い朝見たら立ってるんですって。私は見たことがないんですけど、だって朝方なんて寝てるから。村の人は信じてないの、どうせ余所者が入り込んだんでしょ、とか言うの。でもね、今どき軍隊なんて聞いたことないし、そんな大きな剣持った人いないのよ、おかしいでしょ?



ニブルヘイム。
クラウドの生れ故郷とはいえ、旅の途中に聞いた思い出の給水塔も解体され、彼の生家もすでにない。
様変わりした村外れにそびえる忌々しいそれが、過去を偲ぶ唯一のものであるとはなんとも皮肉。
ニブルヘイムの神羅屋敷、今はもう人が住める状態ではないから、屋敷というより廃屋という方が正しい。地元住民ももちろんその屋敷の存在は知っている。ただし神羅屋敷という名しょいが通じるのは、よっぽどの年配だけだ。
彼らは神羅という言葉に眉をひそめる。
あの酒場の店員のように、嬉々としてそれを語る人間は稀だ。大方の人間は、あああのお化け屋敷ねぇ、と彼らは言葉を換えてその忌まわしいものを忘れようとする。
そうしてから、ほんとに出るのよ、とまるで自分たちに関係のないものの様に言う。
そんな村人達の反応もさもありなん。屋敷の背後には自然の脅威を象徴するニブル山。もともと魔物の跋扈する魔の山は、災厄からこちら、魔晄炉跡から起こったライフストリーム流出で、より強化されたモンスターが徘徊している。
村がそんな山から離れるように南へ南へ広がったのは無理なからぬこと。結果として山の麓にぽつんと取り残された神羅屋敷は、年中霧に包まれてゆっくり建造物としての死を待っている。
霧はまるで屋敷を覆い隠すように近づくほど濃さを増していて、じっとりとヴィンセントにまとわりついて足を鈍らせる。
さすがにいつもの格好やと不審すぎますからと、リーブに無理やり押しつけられたスーツが重い。
朽ちてペンキが剥げ、木の色が露出した扉は、開くのにも大仰に音を立てる。
屋敷は来訪者を歓迎していなかった。
開いた扉から差し込んだ光に透けて、埃が舞う。
一歩踏み入れると腐った木の臭いがまず鼻を突き、陰鬱な気持ちを増幅させる。はぐれモンスターや物取り、はては肝試しに入り込んだ住民達に破壊された調度品や手すりの木片が散らばり、まるで何かに圧迫されているかのようにぎぃぎぃと苦しく音を上げている。
確かにこれぞ幽霊屋敷といった様相で、期待を裏切らない。
階段に足をかけると、軋む床がまるで人間の抗議の声のように聞こえた。今さらこの程度で怖じ気付く肝でもないが、不気味なことこの上ない。
ちらりと一瞥くれてから、割れた窓ガラスから入り込む外のあかりを光源に、ヴィンセントは奥の間に進む。
絨毯についた無数の足跡は大小様様な形のものが入混じり、その上に埃がうっすらと膜を張っていた。
壁紙の剥げ落ちた廊下を抜けた先、二階の右奥の部屋に、扉はあった。
一見して分からないように塗り固められた壁を押せば、扉は廃屋のものとは思えないほど軽い手応えで難なく開いた。
屋敷を蹂躙する無数の足跡も、そこを境にぴたりと止む。埃くささに変わって鼻をつく土臭さと黴臭さに、ヴィンセントは辟易した。臓腑が下に沈む感覚を味わう。帰りたいと思うのは自然な人間の心理だ。
ヴィンセント自身、ここで人生の何分の一かを過ごしてたこともある。
ほとんど眠っていたとはいえ、あの頃は自覚はなかったもののよっぽど病んでいたに違いないと、かつての自分に同情を禁じえない。
壁に沿って奈落の底まで続く石の階段を降りていくごとに、自分の元々低いテンションが落ち込んでいって、ただでさえ着心地の悪いスーツがずっしりと肩にのしかかってくる。どこまで気持ちが落ちても聞こえるのは靴の裏が石階段を叩く音と風が巻き上がってしゅーしゅーと鳴る音だけで、気持ちを煽ってくれる相手はいない。
たどり着いた地の底にある棺桶だらけの部屋で、ヴィンセントは一つの棺桶に目をつける。
ごん、とノックと言うより殴る勢いで棺桶の蓋を叩く。
「クラウド、起きろ」
デジャヴ。
違うのはこの光景を、以前の自分は棺桶の中から見ていた。
きっとクラウドは、案外頭にくる衝撃に機嫌を損ねつつ、蓋のうえの黒い木目を見ながら出ていくタイミングをはかっているはずだ。もう一度名前を呼びながら、容赦なく棺桶を蹴った。
「クラウド」
「………うるさい…」
飛びすさると同時にがこん、と棺桶の蓋があいて、チョコボ頭が顔を出す。
わかってはいたものの、棺桶から人間が出てくると言うシチュエーションにはぞっとする。
我ながら不気味だったのだな、と初めてクラウド達と出会った日の事が頭をよぎった。
懐かしい、あれからもうかなりの時間がすぎたはずだが、この地下の空間も今の棺桶の主も、あの時から時間が止まったようにそのままだ。
「久しぶりだな」
「……私の眠りを妨げるのはだれだ、とか言わないといけないんだっけ?」
にやり、とクラウドが意地悪く笑う。
恐らく同じことを思い出していただろうと言うことは、容易に想像がついた。
久しぶり、といった後につかヴィンセントってスーツ似合わねぇと呟くのには聞こえないふりをする。
「……こんなところで寝ていないで、帰るぞ」
「こんなとこって……いや、おまえがいいならいいんだけど」
言外に、そんな場所で三十年近く眠っていたのはどこの誰だと聞こえてきたが、黙殺した。
よくここがわかったよな、とクラウドが頭をかく。
まるで悪戯がばれたこどものような顔をした。一見神妙にしているように見えて、次の悪巧みを考えている顔だ。それが本当に子供であればまだ可愛いのだが、下手にソルジャー並みの知識と能力を持っているからたちが悪い。
ヴィンセントはため息をつく。
「……おまえがこんなところで穴蔵暮らししているせいで、村は幽霊騒ぎになっているんだが。もっとましなところを寝床にしろ」
「いや、だって上の部屋埃臭くて住めたもんじゃないし」
「神羅屋敷から離れろ。ミッドガルに帰ればいい」
クラウドの放浪癖に、ヴィンセントはうんざりしていた。
最初は、仕事と称して家をあけていた。戦いのあと店を構えて何でも屋をして、何年かはうまくいっていた。
それがだんだん、年を経るごとに家を空ける期間が長くなって、そのうち勝手に店を畳んで、何も言わずにふらりと出ていって帰ってこなくなった。
何年も。
そのうち帰ってくるか、見つかるかすると思うんだけど、と寂しそうに言ったティファの顔は今でも思い出すことができる。
「皆心配している」
ん、と息を吐きながらクラウドは気楽に身体を伸ばした。
「……わかっているのか」
他人事みたいな様子に、ヴィンセントは苛々と肘を指で叩く。
だってさ、とクラウドは視線がかち合うのを避けて目を伏せた。
「一人になりたい時間だってあるだろ」
まるで思春期の少年の様ないいわけに、ヴィンセントはもう一度ため息をつく。元からしてため息をつきすぎだと仲間から指摘されるほどだ。ため息の数だけ幸せが逃げていくとユフィには言われたが、今この場所にいるだけでどれだけの幸福が逃げていったか。
人より長い時間を背負わされた身、確かにクラウドの言う通り一人になりたい気持ちも分かる。
同じような因果を背負った化け物同士ゆえ。
けれどだからといってここまで壮大な鬼ごっこは勘弁願いたい。
世界中広がるリーブの情報網から逃れるくらいクラウドに取って訳のないことで、とうとうヴィンセントにクラウド捜索隊の白羽の矢がたった。
お遊びにしては度がすぎる。付き合わされてコスモキャニオンくんだりから呼び出されたヴィンセントにしてみれば。
クラウドらしき人物を見たという情報が得られなければ、ヴィンセントまで何年も放浪せねばならないところだった。
呆れて小言の一つ言ってやりたいところだったが、なにが悲しくてこんな大きいなりの男に保護者じみたことを言わなければならないのかと思ってやめた。
それはティファの仕事だ。
「一度、顔を見せればいい。そうしたらティファもマリンも安心する」
「…………」
「それにリーブも、クラウドと会えないままお迎えが来るのは嫌だと」
「………まだまだ死ぬような年じゃないだろ」
「むしろ一番元気だ。走り回っている」
とりあえずそう言えと言われた、とばか正直に答えるとクラウドは笑った。
「おまえが気にするほど」何も変わっていないとヴィンセントは諭すように言う。
WROの重鎮という立場になってもリーブは苦労性の胃痛持ちで、シドは酒飲みでユフィは外見だけ大人になってウータイの代表になろうが中身はあのまま、バレットは相変わらず海の上で石油を掘って、いつまでたっても美しいままのセブンスヘブンの女将は、マリンの娘の世話を見ながらあの場所でクラウドを待っている。
「私とレッドは、おまえと同じだからな」
ここまで言えばもういいだろうとヴィンセントは正直思う。子どもの世話は疲れるとは、見た目以上に中身の年齢が上を行くクラウドに対して思うことではないかも知れないが。
それでも思うところあったのか、ただの優柔不断か、少しの間黙りこくったクラウドに付き合ってヴィンセントはぼーってとつっ立っていた。勝算さえあれば、待つのは苦痛ではない。
「そういえば」
二人してしばらく沈黙したあと、ヴィンセントは顎に手をやって呟く。
ヴィンセントにとってそれはただの噂話で、時間をつぶすための手段だった。
特に深く考えていったことではないから、ヴィンセントに罪はない。
彼にどうして、クラウドの彼の間に友情以上の深い絆があったと、察することができるだろうか。
「この屋敷に出る幽霊は一人ではないらしいな?」
弾かれたようにクラウドが顔を上げた。
ややあって、え?と息の抜けたような声が出る。
クラウドの目は、今や珍しい魔晄の色だった。
涙を流せば、色が染みでてきそうな瞳だった。
金属片をちりばめたみたいに、光源ほとんどないこの場所でもちらちら光が揺れる。



――それがね、一人じゃないっていうの、金髪の幽霊と黒髪の幽霊を見たっていうの、見たのは私じゃなくて、ほら、そこで雑貨屋してるおじーちゃんなんだけど、あのおじーちゃん、朝早くよく散歩してて、見たんだって、黒髪で、傷だらけで、やっぱりおっきい剣を持ってたんだって。家の人は誰も信じてくれないって言ってたんだけど、私は信じてるわ、だってあの幽霊屋敷、私のおばあちゃんから聞いたんだけど、昔はあそこで軍隊が人体実験してたんだって。だから呪われた屋敷なんだって。だから私、幽霊の話も信じてるの。人が死んだらライフストリームにかえるんだっておばあちゃんが言ってて、ライフストリームなんてないって母さんは言ってたけど、でも私はそんな話が好きだから信じてるんだけど。あの屋敷にはまだ誰かいるかも知れない、ライフストリームにかえれない人が、あそこにはきっといっぱいいるのよ……