「最近スラムの飲み屋で知り合ったねーちゃんがさ」
ザックスは非常に酔っている。所々呂律が回っていなくて、特にそれは語尾に顕著に表れる。どうしてこんなに喋りにくいのかと、酔っていることに気付いていない酔っぱらい特有のもどかしさを彼も感じているのだろうか、言葉と言葉の間に何か躊躇うような間を挟みながら言葉を繋いでいる。しかしそれを指摘するのも面倒で、クラウドは新しいビールのプルトップを明けて手酌でグラスに注いだ。
「っていってもあれだぜ、隣に座ってただけなんだけど、なんか私占いが得意なの、とかゆってよ、手握ってくる訳よ。あらすごく生命線が長い、とかゆって冗談じゃねぇしらじらしい、生命線なんてもうとっくにきーれーてーまーすー。大体手握ってて手相見れるかーってんだよ。そんでしかも誕生日は、とか、全然手相に関係なくて、キャッシュカードの暗証番号かなんか、今時さぁ、誕生日なんかにしてねぇっての。」
ザックスの手元を見ていたせいで、グラスの端ギリギリを伝わせていた(つもりの)ビールが、グラスの外側に流れていた。ぽたぽたとテーブルにシミを作るのも気にせずに、まぁどうでもいいか、なんてグラスをあおる。グラスを置く頃にはビールを零したことを忘れていて、何も考えずにグラスを置いて、袖にビールのシミが出来る。これももう、何となく今更。
ああ、俺も今負けず劣らず酔ってるなぁなんて、そんなところで自覚する。自覚の遅さがもう、言うまでもなく致命的だと、頭の中で冷静に思う。酔いきれないのはどうしてだろう、たぶん、目の前の恋人の話がいろいろな意味で衝撃的――という程大袈裟なものでもないが。
………何から言えばいいのか。
そもそも目の前の同居人とこんなゆっくり酒を飲むの自体が久しくなかったことで、ほんと二日前まで彼はミッドガルから遠く離れた「戦地」で血糊まみれの剣を振るっていたはずで、遠征前も忙しいやら何やらで滅多に家にすら寄りつかなかったくせに、「最近」スラムの飲み屋でおねーちゃんと知り合っている暇なんてなかったはず、で。……なんて、意地悪な突っ込みを入れて、このアルコールが回って良い感じにぐだぐだ潰れているザックスの酩酊をぶちこわす気はクラウドにないから、神妙に聞いてる振りをしてあげる。酔いが醒めた後に問いつめよう、と決意して。それには自分まで、この男のペースにのって泥酔するわけにはいかないから意識を、せめて記憶は保っておこうと思う。アルコールの臭いが酷く充満して、飲んでいる手を止めている間も間断なく、皮膚呼吸でアルコールを摂取しているような。
「だから典型的な、詐欺ってーの、カード?詐欺?ってクラウド、きいてる?俺は言ってやったんだ、手相占いなんて信じてないって、占星術も数秘術もイタコも巫女も易経も星座占いも血液型も…花占いの方がよっぽど信じられるって言ったんだ、アレってだって占う前から結果わかるじゃんか、なぁ、おもわねぇクラウド」
ザックスがもうどうしようもないくらいぐだぐだになって要点の定まらない文章を、さっきより一層呂律の回ってない声で捲し立てて、手を伸ばしてきた。アンタでも毎朝テレビで朝の占い見てるだろ、と言うとぽかんとした顔になって、それから段々笑い声が大きくなって、何がおかしかったんだが最後には片手だけクラウドの頬に残したまま、ひぃひぃ腹を抱えて丸くなって笑った。
クラウドの髪をすいて、伝わってくるザックスのアルコールで高くなった体温にどきっとして、なんとかそれを抑えて、アンタってほんと馬鹿だよな、とクラウドはいつもの低体温の低いテンションで応える。
ぶっきらぼうで、きっとザックスが好きな飲み屋のねーちゃんがみんな持ってる愛想なんて欠片もないのに、ザックスはクラウドの反応に至極満足そうに微笑んだ。
そうして何を勘違いしたのか、がたがたと椅子を引き摺ってクラウドの横に移動する。…その音は夜中にちょっと響くよな、と思いながら肩に回された腕から伝わる熱を享受する。
くらうどってあったかいよなー、かわいいよなーと、頭に酔っぱらいの声が降ってくる。素面で可愛いなんて言われた日にはクラウドが烈火の如く怒りだすのがわかっているから、ザックスも普段言わないように心掛けているくせして、あっさりアルコールで箍も外れたのか、かわいいかわいいと連呼し剰え頭を撫で、ソルジャーの強靱な腕にヘッドロックされた状態でクラウドは容赦なくがんがん頭を揺さぶられ、ソルジャーのくせにこんな緩い理性で良いのかと揺さぶられたせいで更にアルコールの回った頭で考える。
「そしたらさぁ、私には星の声が聞こえるからって言うんだぜ。それで俺の天命を見るってゆって」
散々頭を弄んで満足したのか、ぱっとクラウドを拘束していた腕を解いた。けほ、と咳き込み、唐突な言葉に怪訝な顔では?と言うクラウドを、ザックスはもう見ていなかった。爛々と輝く蒼い双眸が闇の中に浮かんでいる。最初に見たとき、彼はこれを怖くないかと聞いた。――精神状態に影響を受け揺らぐその色は、ザックスの心理状態をよく表している。俺の振られる原因って、これが8割なんだぜ、と言ったのをクラウドは不意に思い出した。その時は確か本気にしていなくて、嫌みたっぷりに「後の2割は?」と言ってやったと思う。藪蛇だと彼は苦笑したが、一緒に暮らし始めて彼の言葉が決して誇張ではないとわかった。それからすぐのことだ――
彼は俄に興奮したようだった。さっきまでのもたついた様子はどこへやら、熱を持って逆上せたような口吻で然し勢いだけは衰えず捲し立てる。ザックスの頭の中はよくわからない。さっきの話の終わりからその言葉に繋がるのに、クラウドの酔った頭では少し時間を要した。
「俺はそのこが心底可哀想になったんだ、だって俺なんか風呂はいって身体洗うときシャワー出しっぱなしだし」
「……は?」
せっかく繋がったと思った話が、またわからなくなってクラウドは首を傾げた。俺今日相槌打ってばっかだよな、とクラウドはザックスの魔晄の瞳を見ながら思った。まさしく彼の独壇場だ。
「おまえだってそうだろ、節電節水してねぇだろ夜中にゲームばっかしてるくせに」
「おまえと一緒にすんな」
「俺の活動時間は夜中だから」
「開き直んな」
「まぁ聞け。俺はバイクだって乗るし森焼き払って人だって殺すし大体もって人間外の身体してるし」
「………」
「普通の神経なんてしててさ、星の声なんて聞こえたら発狂しちまうだろ」
顔を上げると、凄味を増したザックスの瞳とかち合った。指を動かそうとしたのに妙に重い。手応えは、指先に磁石が付いてまるで机から離れるのを拒んでいるような、それだった。指先が冷たくなっているのにその時やっと気づき、同時に自分の物ではないような錯覚に陥る。足が鉛のように重い。脹ら脛の筋が、攣る前みたいに痙攣した。クラウドはフローリングの床にへばり付いていた足の裏を無理矢理剥がして、緊張を解すために足の指を数回動かして、もう一度床に置き直した。寒かったはずなのに、そこは湿っていた。
「だから可哀想だと思ったんだ、星の声が聞こえるなんて、ほんとだとしたらきっと発狂してるし、嘘だとしたらとんだ法螺吹きだ、でももしほんとに星の声が聞こえるんなら、彼女は俺が救いようのない殺人鬼で疫病神で災厄だって、きっと知っていたと思うんだ。発狂しながら俺を責めていたんだと、思うんだ」
「……アンタ、すごく酔ってるだろ」
「そう考えたらすごく怖くなった」
ぽつりと呟いて、ザックスはそれまでの酔っていた素振りなんて全然見せずに、シャワー浴びてくるわ、と立ち上がった。部屋の中のアルコールに作り出された擬似的な熱っぽさはいつの間か霧散していて、代わりに、窓から入ってくる月明かりが寒々しさを増していた。
クラウドは、カーテンを閉め忘れているのをその時初めて思い出した。