村に着いた頃には、すでに日が傾いていた。
ニブル山に隠れた太陽の残光が僅かに残る夕暮れどき、外灯が思い出したように点灯し、ぼんやりと足元を照らしている。北国の寒村はミッドガルの様に夜を飲み込むネオンの光もなく、光の届かない場所が確実に残っている。夕闇の中に点在する家屋の煙突からは薄い炊煙が立ち上り、カーテンから漏れる屋内の灯りが人の声と一緒にぼんやりと滲む。
そのなんとも言えない朴訥な空気が、場所は違えど十三の歳まで生まれ育ったゴンガガをザックスに思い起こさせ、目を細めた。
ザックスらソルジャー一行を村の入り口で出迎えたニブルヘイムの村長は、恭しく頭を垂れる。一通り歓迎の言葉を述べたあと、ちらりとザックスに恐る恐る目をやる。
「あの、あなたが……ソルジャーの」
「ああ、俺だ。ザックス――ザックス=フェア」
何故かほっとした表情で手を差し出してくる村長に、形式的な挨拶で応えた。
村長は歩きながらではあるが村の入り口から宿、そして彼らの目的地であるニブル魔晄炉までの経路について口案内をしてくれているのだが、生憎生まれてこの方村を出たことがないと言う村長のニブル地方特有の訛りのせいで何を言っているのかまったく聞き取れない。
きっと聞く努力をすれば理解できるのだろうが、ミッドガルから強行軍でここまで空輸された兵士達にそんな気力はなく、ザックスも律儀にそんな話を聞く性質ではなかった。だいたい神羅から地図もコンパスも支給されているし、明日の調査に備えてニブル魔晄炉までの案内係も手配している。ならば真面目に聞く必要もなかろうと。
話を聞いているふりをして村の様子を目だけで見渡し、その素朴な煉瓦作りの家に感嘆する。寒冷地域とは言えど、アイシクルエリアの様に一年中雪に覆われているわけではなく、夏場はそこそこ気温もあがる。ちょうど季節は夏、と言っても毎年気温の上昇激しく熱帯夜の続くミッドガルには遠く及ばず動いて少し汗ばむ程度、湿気も少なく至ってすごしやすい気候ではある。
それでもここが夏の避暑地として開発が進まないのは、道が整備されておらずジープかヘリを使うしかない隔絶された地形と、開発を厭う閉鎖的な村民性が大きく影響している。
神羅の魔晄炉建設の際もひと悶着あったらしい。安定した電力供給と生活水準の向上・維持という大義名分がなければ、この村は魔晄炉もましてやソルジャーも受け入れなかっただろう。
そう考えればこの一見親切な村長の歓迎は、むやみに村を歩き回るなという牽制か。
村長に先導されたソルジャーと神羅兵の一行が村の中央にある広場に差し掛かる。昼間は恐らく、村人の社交場となっているだろう広場の中央の給水塔は家の脇に設置された外灯の光も届かず、深まる夜の闇にひっそりと溶けている。
広場は周りを小さな家に取り囲まれているおかげで、外灯と生活の灯りで遠目でも円周部分はぼんやり明るいのだが、その一角にぽっかりと穴が開いていた。ザックスはそこだけ家がないのかとも思ったのだが、よく注意すればそこにもちゃんと家があるのがわかる。ただ、カーテンもない窓には灯りがついていない。
空き家かな、とザックスは思った。いや、別に人がいようがいまいが、あの家が空き家だろうがザックスにとってはまったく大した問題ではないのだ。
それでもふと気になったのは、その辺りから強烈な視線を感じたからだ。
ソルジャーは夜目が聴く。常人が暗視スコープを装着して確保できるレベルの暗闇も、ソルジャーならば活動にまったく支障をきたさない。いくら陽が落ちて段々と夜に近づいていると言ってもこの程度の暗さなら、昼間と変わらない視野がある。
それでも最初はどこから見られているのか分からず、振り返って後方を確認した。
ソルジャーザックス?と後ろを歩いていた神羅兵が、それに気付いて声をかける。
「なんでもない」
と手を振った。前を歩いていた老人が、どうかなさいましたかと振り返るのにも曖昧に答える。
「あの家は空き家ですか?」
明かりの灯らない家を指した。
ああ、と老人が口をもごもごと動かす。何か言おうとして出かけた言葉を口には出さず咀嚼して飲み込み、代わりに短く、しかし強い口調でザックスの言葉に答える。
「……空き家ですよ」
また再び、背中に強い視線を感じて、そちらを振り返った。空き家と言われた家はまわりに外灯もなく、ひっそりと暗闇と一体化している。
おや、とザックスは瞬きして目を凝らした。二階の窓が開け放たれていた――一瞬前までは確かに閉まっていたはずだ。
カーテンもない窓から覗く室内は周囲よりも一層闇が深く、ザックスの目を持ってしても中の様子を窺い知ることは不可能で、まるでぽっかりと口を開くブラックホールの様で不気味だった。
「なぁ、あの家――」
闇の中で何かが動く。
猫、にしては大きい影がのっそりと立ち上がり、こちらを向いた。
「……ソルジャーザックス?」
「何かありましたか」
指差したまま凍り付いたザックスに、兵士の一人が声をかける。重ねて村長も、怪訝な声でザックスを振り返る。ぴく、とそれにザックスの身体が反応した。
「どうかされましたか?」
兵士はザックスの指差す方を見たが、恐らく常人の視力では何もとらえることが出来なかっただろう。首をかしげながらも、ソルジャーの超人的な身体能力を知っている彼は、調べましょうか?と前の村長の耳に入らないようにザックスに囁いた。
「……いや」
頭を振って、踵を返す。
闇に浮かぶ二つの眼が、じっと、こちらを見ている。
村に一つの酒場は結構繁盛していて、いきなり入ってきた余所者に場の空気が微妙に揺らいだ。見ない振りをしながらソルジャーを強烈に意識している連中の中で飲む酒はどうにもうまいとは言い難かったが、酒場がここしかないから仕方あるまい。
それでも夜が更けて酒も進むうち、おとなしく端で飲んでいたザックスの存在は半ば空気の様な扱いであり、たまにちらちらと寄せられる好奇心と嫌悪感の入り交じった視線を気にしなければさほど居心地は悪くなかった。
飲み初めてから少しして人懐こく寄ってきた若い女は、イントネーションにわずかに訛りが交じるものの大方綺麗なミッドガル弁を話し、聞いてみればミッドガルに働きに出ていて、つい先日戻ってきたらしい。余所者を敬遠する村人の態度とは一線を画し、物怖じなくソルジャーに寄ってきたのはそのせいか。
例の広場に面した空き家のことを聞いてみると、「嘘よぅ、空き家なんて」と一笑した。
田舎で女性が深夜酒を飲むと言うのは悪い意味でとても目立っていたが、本人は気にする様子もない。
「どうせ家に帰ってもね、勘当同然だもの。どこの誰ともわかんない男の子供孕んで帰ってきちゃぁ、ご近所の目も冷たくて」
さりげなく聞いてみれば、グラスに口を付けてふふ、と笑う。
「あそこの家も同じよぅ、ストライフさんのところ」
酒を注いでやれば口元を弛ませ、調子よくしなだれかかってくる。足を撫でようとする手からは少し身体をずらして離れ、それ以外はもう好きにさせていた。
気を悪くした様子もなく彼女は言う。
「もうずっと前に死んじゃって、今は息子が一人で住んでるわ。可哀想に、ちょっと頭がおかしな子でね、でもだーれも気にかけない。村長なんかあそこは空き家だって言い張っちゃって、もしかしたら本当にもう空き家になっちゃってるのかもしれないけど」
「頭がおかしい?」
「そう、母親が死んだ辺りからずぅっと変なことばっかり言ってるの。村が燃えてセフィロスが狂う、とか、みんな殺される、とか」
「……セフィロス?」
それは穏やかではないと、今はミッドガルにいる自分の上司を頭に描く。肉親が死んで発狂したのか、しかしそれにしては突飛で不吉で失礼な予言をしてくれるもんだとザックスは唇をなぞる。確かに世間では英雄だの鬼だの死神だの人間扱いされることが少ない上司ではあるが、少なくともザックス含め神羅に属する人間にとっては尊敬と羨望、称賛の対象たる存在だ。
今や社長を凌ぎ、神羅の象徴ですらある。
「なんか気持ちの悪ぃ目しててね、夜でも絶対に灯り付けないの。一回死んだんじゃないかって村の人が様子見に行ったら、部屋の真ん中で微動だにしないで三角座りしてたらしいのよ」
「へぇ……」
「けど村長も迷信深い所があるからねぇ、なんだかんだいいつつあの子の言うことに振り回されちゃって。大変だったのよぅ、ソルジャーが来るって聞いて大騒ぎ、セフィロスが来るんじゃないかって。たかが魔晄炉の定期調査にセフィロスが来るわけないじゃないの」
確かに、その通りだとため息を付く。今回自分が派遣されたのだって、予定になく急遽決まったことだ。ニブル山で新種のモンスターの死体が発見されたと駐在兵から一報が入ったから。モンスターの調査を兼ねていなければ、誰がこんな辺境の小さな魔晄炉の調査にわざわざソルジャーを派遣するだろうか。通常の調査員だけで充分だ。
「だからあの村長、俺見て安心してたんか……」
しかしそれでも不安は拭いきれなかったのか、宿からできるだけ出ないでくださいと念を押す猜疑心に満ちた老人の顔が脳裏に浮かぶ。
「急にソルジャーが来るって連絡入ったからびびっちゃったんでしょうね、ふふ、心労でぽっくりいっちゃったりして」
膜の張った目でうっとりとグラスの氷を掻き混ぜる女の横顔をザックスはしばらく茫洋と眺めたあと、カウンターに金を置いて立ち上がった。ここから例の家までは、すぐ近くのはずだった。
ザックスは気配を殺して屋根に登った。ちょうど良い塩梅で庭に木が生えていて、それを伝って屋根から二階の窓に入った。案の定、窓の鍵は開いていた。窓枠が僅かに軋み、まるで何十年も人の住んでいない廃屋の様に黴びた臭い漂う。
家は人が管理しないと朽ちると言うが、この家は人が住んでいるにも関わらずゆっくりと死に向かっていた。
二階の部屋の中は備え付けのベッドと机以外何もなく、ベッドにはシーツすらかかっていない。ランプ、灯の類もなく、やっと空に昇った月の明かりだけがうっすら部屋を照らしている。椅子に掛けられたシャツだけが誰かここに住んでいることを主張していた。
気味が悪いと呟きながら部屋を見渡し、ザックスが椅子に手をかけたとき、何の気配もないのにきーっと蝶番が悲鳴を上げた。
顔をあげる。
金髪の手足の細い表情のない子供が、そこにいた。
あの女の話では十六かそこらのはずなのだが、年齢よりずっと幼く見えた。少女、と言っても差し支えないかも知れない。痩せすぎな事に目をつぶれば、綺麗な顔立ちをしていた。
「……やっぱり来た」
闇の中で、蒼い二つの瞳が猫のように光った。ザックスもよく知っている、その色は。決して天然では得られない、蛍光塗料をべったり塗り付けたみたいな人工の造りものの蒼。
ザックスの周りにも、その色を持つ人間はたくさんいるし、いまさら珍しいものでもない。けれど、ここにそれがあるはずがない。それは、ソルジャーだけに許された色だ。
「……おまえ、何者だ」
稀に、ソルジャー以外でもそれを持つものはいる。魔晄炉で勤務中に誤って被爆した従業員、ライフストリームの噴出口に転落し奇跡的に救出された者、確かに彼らは瞳だけはその色をしていた。けれどその引き換えに彼らは重度の魔晄中毒で自我を失っていた。
その瞳を持って、尚且つ健全な肉体を保てるのは、選ばれて厳密な手順を踏み魔晄を照射されたソルジャーだけで、眼の前の少年はその常識から逸脱していた。汗がザックスの背中を流れる。気配は完全に消していたはずなのに、少年はまるでザックスが来たのを知っているみたいだった。まさか、と唾を飲み込む。
不安を全部見透かす眼で、少年は薄い唇を開く。
「来ると思ってた、ザックス」
金色の髪が揺れる。
「……なんで、俺の名前を」
「セフィロスは?まだ来てないの」
「あいつは……こない。休暇で今ごろアイシクルエリアだ。俺がここにいる事すらイレギュラーなのに、あいつが、来るはずが」
会話がつながらない。ザックスは恐怖した。恐怖なんて、感じた事がない。兵士でも、ソルジャーになって最前線の矢面に立ったときも、人間の肉を切る感覚に命のやりとりに興奮した事はあっても、逃げたいと思った事はない。初めて――いや違う、初めてセフィロスと対峙したとき以来だ。こんな感情は。
「来るよ。セフィロスが来て、アンタは殺される」
少年はザックスの言葉に初めて応じた。しゃべるたびに、輪郭を縁取る金糸が揺れる。
「……は?」
言葉の意味が理解できず問い返したザックスのポケットの中で、不意に緊急連絡用の携帯が鳴った。強制的に支給され、電源を切ることが許されず応答が義務付けられている携帯、入れっぱなしで忘れていた。よく今まで鳴らなかったと思う。これがなるのは余程の緊急時くらいだからと油断していた。
「……出なよ」
少年が言う。
「きっと、セフィロスからだから」
眉を顰め半信半疑のまま、通話ボタンをプッシュする。
電話口から流れた低い上司の声に、応答するのも忘れてザックスは目の前の少年を凝視した。
無視された格好になった電話の向こうの英雄が、苛立った声を出した。
『――聞いているのか』
電源越しの英雄は、回収された新型モンスターの死体解剖の結果、それが魔晄の影響で在世のモンスターが突然変異したものであること、それが元になったモンスターの数倍攻撃性毒性を増していることから、事態を重く見た上層部にニブル行きを命じられ、今ジュノンの上空である事を不機嫌極まりない声でザックスに告げる。
瞠目し言葉を失ったザックス相手に、せっかくの休暇で避暑地に行っていたのにとんぼ返りをさせられた事に対する不満、上層部への罵詈雑言を粗方述べた英雄は、まったく喋らなくなった部下にさすがに異常を悟ったか、どうした?と問うてきた。
「――いや」
言ったとおりだろ、と少年が言う。のっぺりと表情のない顔に、淋しそうな陰がさした。
「……殺されるんだ、アンタも、俺も」
『どうした?いや、ではわからん』
「だからその前に、セフィロスを殺さないと」
金色の睫毛が掛かる魔晄の瞳に、ザックスの姿が映りこむ。視線が絡む。
がりがりの発育不良な少年はその瞬間、身体とはまったく不釣り合いの艶っぽい笑みをザックスに向けた。
ザックス、と少年が言う。いとおしそうに。
『ザックス。ザックス、聞いているのか?返事を――』