旅行行きたくねぇ?とザックスが言い出したのは、その日最後の依頼を終え、クローズドの看板を表にかけたあと。いきなり何言ってんだこいつ、とクラウドはザックスの弾んだ声を背中で受けながら、思いつきを脊髄反射で口にするザックスのいつもの気紛れだろうと聞き流して相手にしなかった。観葉植物を増やせ、バイクが欲しい、ベッドを買い替えよう、レコードが聴きたいから針を探すだの、ここ最近物欲が激しいのかただの浪費癖なのか突飛もない事を言いだすから困る。簡単に欲しいと言ってくれるが金がかかるんだ、というのは財布の紐を一手に握るクラウドの言い分。
繰り返されるザックスの子供みたいな思いつきに、よほどストレスが溜まっているのかと訝しんだがその様子もない。だいたい毎日充分すぎるほど食欲、性欲、睡眠欲満たされているくせにフラストレーションになるはずもない。ただのきまぐれ。今回もその類だとクラウドは見当付けた――相手にする必要なし。最初はいちいち相手をして、シドにツテのあるジャンク屋を紹介してもらったりウォールマーケットに足繁く通ってみたりしたのだが、大抵言い出しっぺのザックスよりもクラウドが真剣になって目的の物を羽目になっている。
要はザックスがいい加減すぎ、クラウドが真面目すぎるのだ。
案の定今も、少しの間ザックスは何が嬉しいのか上機嫌にクラウドの反応を待っていたが、かち、という針の音に時計を見ると、「あ、電球かえてる途中だった」と呟きながら部屋の奥に戻っていった。
…自分の好き勝手言うのはいいが、そこの電球を変えといてくれと頼んだのは小一時間も前なんだけどな、とクラウドはため息を吐き、今までザックスは何をしていんだとリビングに戻ると、ソファの上に広がっていた新聞の広告欄に「癒しの旅〜コスタ・夢のビーチでリラックスタイム」との文字。
わかりやすすぎるだろ、と新聞は丸めて端に追いやりソファに身を沈める。
旅行、なぁ、と小さく呟く。
メテオの直撃は未遂に終わったもののミッドガルはほぼ潰滅、それまで世界の金融流通インフラ全てを担っていた神羅の事実上の消滅により世の中観光どころではなく、世の中全体が最近やっと持ちなおしてきた所だ。
災厄のあと再会したザックスとは勿論旅行なんて行く暇もなく、開業した何でも屋の依頼に忙殺されてきた。確かにザックスの言うとおり、コスタは遠いにしてもどこかもっと近場で――コンドルフォートが最近観光地として整備されているらしい話は聞いていたしバンベリーの定期市に顔を出してみるのもいいかもしれない。仕事も最近軌道にのって少し蓄えもできてきたところ、この辺で少しくらいザックスと二人で贅沢をしてみてもいいかも――なんて。

「え、今旅行なんていく余裕あったっけ」
夕食後の一服中、クラウドの提案――たまにはどっか旅行でもいく?――に、コーヒーを飲みながらいけしゃあしゃあ言うザックスに、頭の血管が切れそうになった。ひく、と目の下の筋肉が引きつる。
「旅行行きたいっつったの、おまえだろ」
不機嫌さを隠そうともしないまま、クラウドは低い声で言う。まただ。この男には嫌というほど前科があったのに、またついその無責任な気紛れに付き合って真剣に考えて無駄な労力を費やしてしまった。旅行もいいかも、なんて真面目に考えた時間を返せと言いたい。
いや、実際クラウドもそんな真剣に旅行を検討したり観光地を調べたりしたわけでもなく、ちょっと羽をのばしたいなぁ程度に考えていただけだったのだが、こうもあっさりザックスに否定されてしまうとなんというか――すごく腹立たしい。クラウドの予想外に不機嫌な声にザックスは少し驚いてバツが悪そうに頭を掻いた。
「いや、言ったけど…」
「言ったけど、なんだ」
「……おまえ、相手にしてくれなかっただろ、だからてっきり却下されたかと」
「却下されなくても、そんな余裕ないって知ってたんじゃないか、知ってていったのかこの馬鹿」
「……仰るとおりで」
手酷く言いこめられ睨み付けられながら、ザックスは降参とばかり両手をあげる。
「おまえ、いっつもそうじゃん」
あっさり非を認めたザックスに勢いを削がれ、前に乗り出していた体をまた背もたれにぐったり預けたクラウドは、それでも未だ不満げにぼそぼそ言い連ねる。
「この前のバイクが欲しいって言ったのだってさ、わざわざ仕事のついでにシドんとこ寄ったんだぜ」
「あー…うん」
俯いて不平を述べるクラウドに己の所業を思い出したのか、ザックスは術なく呻く。
「なのに帰ってきたらやっぱり次は新しいソファ欲しいとか言ってさ、なんなんだよそれ」
「…………」
「なんだよ。言いたいことでもあんのか」
「いや、ないですまったく」
「観葉植物だってさ、わざわざ仕入れたのもらったのにティファにあっさりやっちゃうし。喜んでたからいいけど。世話する気ないなら言うなよ」
…別に文句ばっかり言いたいわけじゃないし、そんな些細なこと、クラウドだって今言うまで忘れていた位小さなことなのに、堰が切れた様に胸に湧き出るもやもやは止まる所を知らずクラウドの口から零れる。
「ごめん。クラウド」
「あんたの無責任な言動に振り回されてんだからな」
これは嘘。振り回されるほど大変だった事なんかない。
自分でもそうだとわかっているのに言ってしまうのは、今まで溜りに溜まった鬱憤が一気に出てしまったせいだろうか。言いたい事をいって、それでも不機嫌の治らないクラウドの頭をザックスはごめん、と言いながら優しく撫でる。
「もう旅行なんて絶対いくか」
と最後には意固地になって言ったクラウドに、ザックスは何も言わず苦笑した。

――そんなこんなを、仕事帰りに立ち寄ったセブンスヘブンでティファに話す。美人で気立てのいいマスターとスラムでも評判のバーは連夜客足が絶えることはないが、さすがにこんな時間――もう四時だ――に他の客はいない。二人以外誰もいない店内で一見惚気にしか聞こえないクラウドの話に根気よく(多少苦笑いを浮かべながら)相槌を打っていたティファは、店の隅に鎮座する天井まで届きそうなシュロチクの大鉢に目をやった。ザックスが大慌てであれを持ってきた時には驚いたわ、とその時の事を思い出してティファは笑った。思ってたより大きかったとかなんとか。結局お店のインテリアとして無事納まったのだが。
笑い事じゃないのに、とクラウドは唇を尖らせたが、ティファは気にせずにおかわりどう?と首で促す。
「でもまぁ、そんな所あるじゃない。物事に執着しないって言うか」
「執着しないくせに物欲だけはあるのかよ。……それに、レコードの事だってあったし」
注いでもらった酒を舐めながらクラウドは言う。とばっちり第二弾ね、とティファが合点して笑った。
ザックスが馴染みの古物商からレコードプレーヤーとドーナツ盤を貰って帰ってきたのはもう半年くらい前になる。神羅でソルジャーをやっている頃から、懐古趣味というか懐メロ好きな一面があったザックスは、好きなアーティストのアナログレコードを集めていて、それに影響されたクラウドも一緒になって聴いていた。あのニブルヘイムの事件、そしてメテオによる被害で、ザックスの昔住んでいたマンションも例外なく瓦礫と化してしまい、そのコレクションも散逸していたのだが、ザックスが持って帰ってきたのはその中の一枚。
ソフト、ハード共に大分劣化はしていたが聞けない事はないらしい、でも針がなくて、と悲しそうに言うザックスを可哀想に思ったのもある。
昔聴いていたあの音楽を自分ももう一度聴きたいとわざわざ遠方のシドやらリーブに連絡を取りツテを当たってもらったが、既にメテオ前からレコード針の生産自体が少なくマニアの間でしか出回っていなかったと言うこと(ということはザックスもそのマニアの一人であり、レコード針入手が難しい事は重々承知していたらしいのだが)、メテオの災厄あった今それを探すのは絶望的という事を知らされた。
そっかー、と落胆するザックスを見兼ねて、ダメ元でティファに話を持ちかけた所、セブンスヘブン常連客の中にマニアがいた。ティファが話を付け貴重な針を譲ってもらえる事になった、と事の次第を話すクラウドに、ザックスはまさか手に入るとは思わなかったと一言。
もう少し驚くなり喜ぶ様を想像していたクラウドは呆気に取られ、なんだよそれ、と我に返って突っ掛かるとすまん、と謝られた。
「あのレコード、欲しいって言う人がいて」
「やっちゃったのか!?」
ザックスのためと言う大義名分掲げながら、自分も少し期待していたクラウドはただ脱力、取り返してこいと言うわけにもいかず、尽力してくれたティファと好意で譲ると言ってくれた常連客に、話がかわったから申し訳ないけれどと頭を下げた。
そんな些細な事も、塵も積もれば山となる。「きっとそういう性格なのよ」と慰められても、怒りが収まるわけもなく。
「なんかむかつく…」
と呻くクラウドにティファはまた苦笑い。
「昔からそういう所あったのかしら」
「さぁ、どうだろ」
言われて首を捻る。一緒に住んでいたけれど、こんな事でいらいらさせられた覚えはない。確かに変なところに拘りを持つ奴ではあったけれど――
「俺があいつに会ったときには、あいつはもうソルジャーだったから…収入も向こうが上だったし」
「そんな所に気付かなかっただけかも?」
そういえば遠征から帰ってきて休みで家にいるときはよく通販のカタログを見ていた、気がする。知らない間にリビングの家具が変わっていたりとかはしょっちゅうだったし、観葉植物もお互い忙しくて絶対枯らしてしまうから今は買えないけど、引退したら買いたいなとかなんとか――おまえソルジャー引退してどうやって暮らしていくんだ、とかなんとかいう会話をしたから確かだ。バイクも好きでしょっちゅう乗り回していた。
クラウドの言葉に、やっぱりそうよ、とティファがいう。
「つい昔の癖が出ちゃうのかもよ?」
「そう、かなぁ」
「それに今、ザックス一日家にいるんでしょ?淋しいし、暇なのよ」
それは確かにあるかも…とクラウドは呟いた。
クラウドと一緒に実験動物の如く扱われ無惨な死を遂げたと思われていたザックスは九死に一生を得て、災厄の後クラウドと涙の再会となったのだが、後遺症で昔の様に身体の自由がきかなくなっていた。日常生活に支障はないものの、昔の様な激しい戦闘や長距離の移動(クラウドが旅行に遠出を渋った理由はこれもある)は、口には出さないもののやはりきついらしい。
二人で何でも屋をはじめ依頼を受ける様になっても、モンスター退治とか遠方への配達とかはクラウドの担当になっている。
自然、ザックスは家のおさんどん、ご近所さんの簡単な依頼を片付ける係と相成ったのだが、最近は立て続けに大きな仕事――鉄道開発のためのグラスランドエリアの大蛇退治とかジュノンエリアまでの出張、配達――が重なってザックスはもっぱらお留守番係だった。
淋しかったと言われれば、淋しい思いをさせていたかも、とは二十代後半の大の大人に対する言葉ではないが。
「それにほら、身体のこともあるし。昔と違う事にザックスも戸惑ったりするのよ」
「戸惑ったり…するかなぁ、あいつが」
「するわよ、人間だもの」
そうかなぁ、と半信半疑なクラウドの様子に、とにかく早く仲直りしないととティファは笑った。


ザックスが足の骨にヒビを入れる大怪我を負ったのはその二日あと。久しぶりにザックスの担当とも言うべき屋根の修理の依頼がきて、いつものように出かけていったザックスは、松葉杖をついて帰ってきた。驚いて心配するクラウドに、屋根から落ちた、と珍しく落ち込んだ様子で言うと部屋に籠もってしまった。怪我のことよりそのザックスの様子に慌ててクラウドが様子を伺いに行くと、ザックスは一人部屋で椅子に座って虚空を見ていた。ザックス、と声をかけると思い出したように焦点が定まり、クラウドをみた。
「なっさけねーなぁ、俺。全部終わっておりる時に、だぜ」
「…確かに、あんたらしくないよな」
「受け身も取れなかった…どんだけ鈍ってんだか」
自嘲気味に笑うザックスはますます彼らしくなく、クラウドはザックスの傍らに屈んで抱きしめる。
「あー…ほんと駄目だわ、。今すげぇへこんでる」
癒してクラウドちゃぁん、というザックスの言葉も空回りして聞こえる。腕の中でくぐもった彼の声が今泣きそうに感じて、クラウドは思わず腕に力を入れた。苦しい、とザックスが苦笑して腕をぽんぽんと叩く。
「嘘つき。これくらい平気だろ」
「いや…結構効くぜ?」
「ばーか、腐っても元ソルジャーが何言ってんだ」
元ソルジャーかぁ、とザックスがため息をつく。ティファの言葉が脳裏を掠める。――昔と違う事に戸惑ったりするのよ。
あの時は否定したけれど、考えてみると勝手に自分の中のザックス像を作り上げていただけだったのかもしれない。多少のことではへこたれずいつも明るく笑っていて誰彼かまわず慕われる兄貴肌、というのはクラウドが作り上げた勝手な思い込みだったのかも、と改めて思った。
「……ザックスはさぁ」
「ん?」
「俺を助けて後悔とかしてないの」
抱き締めたまま言ったのは、ザックスの顔を見るのが怖いから。ザックスの顔をあげようとする気配に、咄嗟に首の付け根を押さえ込んだ。
「クラウド、これもう抱擁とかじゃなくて技…」
「答えろよ」
茶化す(というかザックスの言葉は真実なのだが)ザックスの言葉を遮り強く促す。ザックスは黙って、言葉を選んでいるようだった。クラウドは素直にそれを待つ。首根っこは押さえたまま。
「……おまえを助けたことに後悔はしてないけど」
久しぶりに聞いた真面目な声だった。いや、ひょっとしたら初めてかもしれない。今までザックスといた時間はそれなりには長かったけれど、こんな暗い声は聞いた事がなかった。けど、で言葉が切られて、クラウドの心臓ははち切れんばかりに一度大きく跳ね、続いてどくどくと音を立てた。一瞬でも気を抜いたら泣いてしまいそうで、唇を噛む。
「もし、あのときニブルで、あそこで――セフィロスがあんな事にならなくて……それか、俺らがあそこにいなくて、あのまま、あのまま何事もなく神羅にいたら」
ザックスの言葉が切れる。こちらの反応を伺っている事がわかって、クラウドは答える代わりにザックスの頭に顔を埋める。ザックスの汗の臭いがした。
「あのまま神羅にいたって無事にやってられる保証なんてなかったし、案外……テロかなんかでぽっくりいっちゃってたりとか、メテオにあたって死んでたりしたかもしれないけど…でもたまに、ほんとにたまにな、一人家にいてなんもできなくて身体も動かなくてさ、そんな時に、…あのときもしも、って。もしもあそこにいなかったらって」
「あのままソルジャーでいたら?」
弱った人間の戯言だけどな、とザックスは念を押すようにいちいち前置きする。
「出来た事っていっぱいあったんだろうなって」
好きだったバイクにレコード、欲しかった観葉植物、定期的にしていた家の模様替え、いつか行こうなと話していて結局行けず仕舞いだった旅行も、とザックスが言う。
「昔と同じ様になんか無理なのはわかってるんだけどな。……無駄にあがこうとして、途中で違うって思って、なんて情けないんだろうって嫌になって…好意を無下にするつもりはないんだ。旅行もさぁ、行きたかったんだけど」
「……行こうよ、旅行」
ザックスの硬い髪、頭を撫でていう。ザックスの肩が小さく震えた。
「本当に行きたいわけじゃないんだぜ、きっと。遠出できるわけじゃないのにさ。でも行ったらきっと、昔みたいに…って、ほんと情けないな、俺」
「情けなくないよ」
強く言い聞かせる様に言う。情けなくない、と何か言いたそうなザックスに、もう一度被せるようにいってクラウドは肺に大きく息を吸い込んだ。自分も確かに辛かったし悲しかったけど、仲間と出会って自分の手でセフィロスを倒してケリをつけて、失った5年間も全部、どこか区切りが付いた気がしていた。でもザックスは違う。ザックスは――。
「旅行、いこうよ」
首を押さえていた手を外しても、ザックスは頭をあげなかった。おとなしくされるがままにクラウドの胸に頭を寄せている。
「ずっとミッドガルから出てなかっただろ?いい気分転換になるよ。チョコボに乗ってさ。ピクニックでもしようぜ」
うん、と小さな声が聞こえてザックスの肩の震えが収まるまで、なぁどこにいこうかと声をかけながらクラウドはザックスの頭を抱いていた。