一緒に暮らさないかと提案したのはザックスだった。仕事帰りに待ち合わせ、安い飲み屋のカウンターに落ち着き軽くグラスを合わせた後、世間話よろしくさらっと言ったのは、クラウドがこの手の話題を頑なに、意識的に避けようとしているのに気付いていたからだった。
ザックスの企み通り、何も考えずにいいよと即答しかけたクラウドは、その言葉の意味に直前で気が付いて、喉まで出かけた返事を直前で飲み込んでびっくりしてザックスを見た。
ついでにびっくりしすぎて逆流してきたビールでむせて咳き込むので、ザックスは大丈夫か?と言いつつクラウドの背中を擦る。
物凄く軽いノリで言ったのだが、仮にもクラウドとザックスは目下恋人という関係を継続中、すなわちこれは同棲のお誘いに他ならない。
予想どおりと言うかなんというか、なんでそんなこと、と固まるクラウドに、ザックスは眉をよせる。
「……なんだよその顔。なんか問題あんのかよ」
確かに、付き合い初めて既に二年。出会った頃既にソルジャーサードとして頭角を示していたザックスはこの二年でセカンドに、もはやファースト昇進も遠くないだろうというのが専らの噂。
クラウドとの仲も、もはや知れ渡っていて公認の仲、結婚式はいつかと揶揄される程の関係で、好きな相手も富も権力も弱冠19歳ながら手中に収めつつあるザックスは、なんでおまえら一緒に暮らしてないの?と周囲に訊ねられて、そういえば何故だろう、とザックスも疑問に思った。
お互いに干渉を嫌い、相手の人間関係とか生活リズムとかに言及することもなくやってきた。
休みの日でも疲れていれば会わないし、会うと約束していても突然仕事が入ることもざらにある。特にソルジャーであるザックスには。仕事の内容が喩え接待飲み会の類だとしても、立場上勝手にすっぽかす訳にも行かない。誰が上司との飲み会なんざ、好き好んで行きたいと思うものか。それならクラウドと一緒に過ごしたいと思うのだが、当のクラウドはそうやって約束がつぶれても、残念だな、と言うものの、まるで気にせず行ってこいよとザックスの背中を押す。至極物分かりの良い恋人である、クラウドは。実際拗ねられたり怒鳴られたりしてもどうしようもないから、そうやって気持ち良く見送ってくれるのはザックスに取っても有難い。有難いのだが、そのあまりの淡白さに、逆に申し訳なくなってしまう。
一度、本当にいいのかと尋ねたことがあったが、よくないって言ったら、あんたどうにかしてくれんのかよ、と逆に聞き返され言葉に詰まってしまった。
約束が潰れたって自由な時間ができたと思えばいいから、目くじらを立てて怒るほどの事でもない、とクラウドは笑いながら言う。
ザックスはソルジャーとして言うまでもないが、クラウドもクラウドなりに激務をこなす毎日、ザックスと会う約束が潰れても、したい事は山ほどあるし、とはクラウドの弁。
付き合いはじめのカップルでもあるまいし、疲れた身体に鞭打ってまで会いに良く必要もないだろう、と最近は特にそんなスタンスでやってきたので、休みの日でもなければわざわざ会うこともなくて、以前に比べて一緒に過ごす時間はぐっと減った――とは言え、愛情までは減っていない。
それならいっそのこと、一緒に暮らせばいいじゃん、と言うのがザックスの言い分なのだが。
久しぶりに食事に誘い、二つ返事で応じたクラウドと二人、久しぶりにできた恋人同士の時間に気分も上々、心なしかクラウドのテンションも高く、今なら良いかとザックスが切り出した途端に、クラウドが眉を顰めた。
クラウドが現在暮らしている寮は、数ある神羅社員寮の中でも地方出身者が集う一番ボロい安普請、ザックスも故郷からミッドガルに出てきて神羅に入り、ソルジャーになるまでそこに住んでいたから知っているのだが、本当に安い以外何の取り柄もない建物だ。それに比べてザックスのマンションなら家賃も門限も気にしなくてもいいし綺麗だしセキュリティも万全で会社にも近い、まさに優良物件。一見魅力的なこの話に、クラウドは決して首を振ろうとしない。それどころか、わざわざ一緒に暮らさなくても、今の生活でも充分うまく行ってるのに、と言外に強い拒絶の意志を匂わせて、クラウドはビールをのみながら遠い目をして呟く。
最近さぁ、と言えばクラウドの色素が薄くて灰色に近いアイスブルーの瞳と視線がかち合った。
「……最近じゃねぇか、ここんとこずっと考えてたんだけど」
ザックスが確認するように言葉を切ったが、クラウドはちらっとザックスを見ただけで相槌も打たない。
安物の油にうんざりしたらしいクラウドが、つまみをポテトフライから野菜スティックに変えるのを横目にザックスは続ける。
「一緒にいる時間短いなぁって」
「………そう、かな」
クラウドが興味なさげにぽつりと呟く。その様子はまるで他人事、端から見れば友人のカップルが最近倦怠期らしいんだけど、へぇそうなんだレベルの相槌にしか聞こえないのだが、紛うことなくこれは二人の問題である。
この類の話、実は以前にも何度か話題にのぼったことがあって、最近あんまり会えないよなぁ、とか一緒に暮らしたらもっと二人の時間増えるよなぁとか言いながら、ザックスはクラウドの反応を伺っていたのだが、その都度「そんなとこないよ」とか「最近あんたが忙しかったからじゃない?」とか適当に受け流されてきた。
そんなやりとりにもいい加減飽きてきたので、今日はずばり本題を切り出してみれば、さすがにクラウドもとぼけようがなく、興味なさそうに振る舞いながらも、とても困った顔をする。だめ押しとばかりに、そうだよ、と言って退路を断った。
「本当は、俺が引っ越す時に誘いたかったんだけど……色々ばたばたしてたしさ。しかもおまえ、何か乗り気じゃなかっただろ?……今も、だけど」
「そんな事は……ないけど」
クラウドが肩を竦める。面倒だなぁ、というのがありありと顔と声音に表れていて、ザックスは少しむっとする。口下手で無表情で低血圧ローテンションの癖に、割とすぐ内心が態度に出るのがクラウドだ。
喋らない分態度が雄弁に語っている――と言っても、そんな変化に気付くのはザックスくらいのものなのだが。
「この期に及んでそれはねぇだろ。なぁ、なんか一緒に暮らしたくない理由でもあんの」
これまでも、そして今日もクラウドは精一杯誤魔化していたつもりだったのだろうが、ザックスにしてみれば引っ掛かって仕方なかった。
もういい加減堪忍袋の緒も切れんばかりの、腹に据えかねたザックスの視線を受け、クラウドは思わず、う、と言葉に詰る。
「……なぁ」
何が嫌なの?と、真剣に見つめられ、クラウドはしどろもどろになる。
追い詰められた時に、どうやって自分を理解してもらおうと言う事より、どうすればこの話題が早く終わるだろうか、と考えてしまうのがクラウドの悪い癖だ。現実逃避。
その手の戦略については全く役に立たないクラウドの頭脳、迷った挙げ句、出てきた言葉は「もうこの話やめようよ」だった。
「………は?」
散々焦らされやっと貰えたクラウドの返事は、ザックスの望んでいた解答にはかすりもしない、いや、それ以前に答えにすらなっていなかったのだから、ザックスの苛立ちはさもありなん。
さすがの自制心も少し揺らいで、素に近い声が出た。齢16にしてソルジャーに抜擢されてこの方、若手の出世頭として将来を嘱望されている戦士だけあって、素のザックスはかなり怖い。歴戦のソルジャーとして身に纏う雰囲気も剣呑、魔晄で強化された肉体に、生まれつき目鼻立ちが鋭いのが相まって、その出で立ちはなんというか圧倒的ですらある。普段は意識してクラウドに接している分、声音も表情も柔和なのだが、本気で怒ったりするとクラウドごときでは(フィジカルな面は勿論、メンタルでも)太刀打ちできない。
びく、とクラウドの身体が震える。
ザックスの低い声と表情にますます追い詰められて、パニック状態と言っても過言ではない。
「……俺の事が嫌いなんか?」
「そう……じゃなくて」
「じゃぁなんだよ」
ザックスの表情が更に険しくなり、クラウドは益々言葉を失って久しぶりの楽しい恋人同士の時間が沈黙に沈む。クラウドの心中はどうやってこの話題を終わらせようと躍起になっているて、それが余計にザックスを苛立たせた。せめてクラウドに、とにかく嫌なんだ、と我を張り通す強さがあれば喧嘩にでもなっただろうが。
頼んでいた料理を店員が持ってこなかったら、あの沈黙はいつまで続いていただろうとぞっとする。
話の腰を折られた形のザックスは、眉に皺を寄せたまま皿に盛られたケサディラを無言で摘み、クラウドもどう切り出していいかわからずにうつむいたまま。二人の間を割って店員が次々皿を並べていく間、ザックスは無言、クラウドは俯いたままで、会話なんてまったくなく、店員が粗方料理を運びおわってそれらが冷めてしまった後に、なぁ喰わないの?とザックスができるだけ優しい調子で聞いたのも、納得したからではなく、これ以上粘っても仕方ないと諦めたからだった。
それでもザックスの幾分か軟化した口調に安心したのか、クラウドもゆるゆると料理に手を伸ばした。すっかり冷めたピザは、チーズ硬くなってパサパサしていてお世辞にも食欲をそそるとは言いがたかったがクラウドは一口咀嚼して飲み下すと、ザックスを見て微笑んでみせた。
あんたといるのしんどかったんだ、とネタばらしされたのは、神羅もとっくになくなって、復興の始まったミッドガルで二人、何でも屋を始め、それがやっと軌道に乗ってきた頃だった。
夏真っ盛りの夜、何でも屋開店一周年記念、とセブンスヘブンに招かれて一杯やった帰り道、ザックスがふと口にした、懐かしい神羅時代の思い出に、クラウドはよく覚えてるよな、と苦笑する。
あの時なんであんなに嫌がってたの、と言うザックスの言葉に、クラウドは少し考えてから「だって、一緒に住むなんて、絶対無理だと思ったんだ」なんて言われて、ザックスは少なからず衝撃を受けて立ち尽くした。
クラウドは二、三歩先に行ったところで立ち止まり、ばつが悪そうに頬をかく。
「ショックだった?」
「……かなり」
呟いて呆然と立ちすくむザックスの横にクラウドがならぶ。いつのまにか埋まった体格差、身長も伸びて腕っぷしも昔に比べて格段に強くなったもののクラウドは未だ痩身で、どちらかといえばザックスの筋肉が落ちたのがその要因だろうとは思う。
つなぐ?とクラウドが差し出した手を、ザックスは一瞬躊躇してからすぐに握る。いつもと正反対の光景に、クラウドがなんかおかしい、と笑った。
酒が入って少し高揚したせいだろうか、普段より積極的になっていたクラウドは、少し考えて掌を開き、指を絡めた。釣られてザックスも笑う。
「あの頃ってさ、とにかくザックスが遠くて、なんで俺、この人と付きあってんだろうってふとした瞬間に思うことがあって」
歩いているだけでじんわり汗ばんでくる湿気に、クラウドは暑い、と呟いて言葉を切り、頭を振った。
「すごくしんどかったんだ、一緒にいるの。一緒に住むとか、冗談じゃねぇよ、みたいな」
クラウドはくすくす笑うのだが、ザックスはとても笑う気になれなくてクラウドの顔をじっと見た。視線に気付いたクラウドが、今はそんな事全然ないけど、とフォローする。
「俺はコンプレックスの塊でかなり嫌な奴だったし。たぶんあのままいってたら、駄目になってたと思う……今でも」
多弁なのは酒が入ったせいなのか、クラウド、と呼ぶとにこりと微笑んだ。言葉の内容の割にさっきから上機嫌で、その落差にザックスは余計に戸惑う。
「ソルジャーじゃないし金もあんまりないけど、そんなのと関係なくあんたが好きだよ」、と言われても素直に喜んでいいのか悪いのか、愛されてるなぁと実感していいのかどうか。
何もかもが昔の事でいまさらどうしようもないのだから、思い出話なんかするもんじゃねえなぁとザックスは苦笑いして頭をかいた。