最初の一回目はなんだったかもう忘れた、退社間際にたまたまロビーであったとか、そんな理由だったと思う。
飲み仲間も友人も恋人も両手じゃ足りないくらいいるだろう彼が、なんだって自分みたいな面白くない人間を選んだのか。たぶんなんとなく、とかそこにいたから、とか、目に止まったからとかいうのが率直な理由だろうとは思う。
適当に何度か同じ任務に付いただけの知り合いを飲みに誘う行為は、クラウドの理解を越えているが、それでもいい。
わりと人見知りしない、と言うのがそもそもの気質というか、特技みたいなもんだとは本人も言っていたけれど、まさか嫌っている人間にまでいい顔はしないだろう。
つまり最初から、自分はどちらかと言えば好かれていたわけだ――と慣れないプラス思考で考えてみる。
飲みたいんだけど誰もつかまんなくて、と悲しそうに言う二つ年上の上司に、承諾したつもりはなかったのに半ば無理矢理店にひっぱり込まれ、状況が理解できないままにビールで乾杯。あれ?と思った時にはテーブルの上には料理皿が並んでいて、隣にはさほど仲良くなかったはずの上司がいて、クラウドは何故か彼の郷里の思い出話に相槌をうっていた。
はぁ、とかそうですか、とか、話すのも苦手だが人の話を聞くのも苦手という根本的にコミュニケーション能力に欠けたところのあるクラウドは、酔っているとはいえ上司の手前――しかも相手は憧れのソルジャーで、無下に話を切るわけにもいかず、はぁ、はぁと慣れないながらも一生懸命答えた。
相槌を打つのに必死で、その時彼の話した内容はクラウドの頭には全然入っていなかった。たまに言葉のチョイスを誤って、答えを求められているのにも気付かず、はぁそうですか、と流してしまったりもしたのだが、酔っているせいか彼は何にも言わないで、にこにこしているだけだった。その笑顔がすごくやさしくて、クラウドは思わず持っていたフォークを取り落とした。
お陰で退勤から数時間、クラウドはずっと上司の話を聞いていたにも関わらず、覚えていたのは、彼の故郷に雨季になると大量発生するタッチ・ミーの大合唱が頭がおかしくなるくらい煩いと言うことと、案外その肉がおいしいらしいと言うことくらいだった。


夜は更けて時間はすっかり0時をまわった頃、午前様の帰宅に、寮玄関入り口の鍵が閉まっているのを確かめるまでもなく、クラウドは非常口に廻った。
非常口の扉前には先客がいた。クラウドも決して人のことを言えた義理ではないのだが、この真夜中に人影を見れば一瞬どきりとするのは仕方ないこと。え、と足を止めたクラウドに、相手が先に気付いて、あれ、と声を上げた。
その声でクラウドも相手の正体に気付き、一瞬あがった心拍数が、元の速さに落ち着いていく。
「奇遇やね、おまえも今帰り?」
さほど大きくない声でも、音の少ないこの時間ではよく通る。非常扉に背を預けてくわえ煙草、にかっと手を挙げて笑う同室の少年に、声でかい、と眉を寄せた。
そういや最近彼女できたって言ってたよなこいつ、と思いながら、ごめんと呟く少年を押し退けて、ひんやりとした非常扉のドアノブを回す。
「もう中入んの?じゃあ俺も入ろっかな」
「寮内禁煙」
「……わかってますよ」
ゆっくりと扉をあけても、きぃ、と錆びた非常扉擦れて嫌な音が廊下に響く。
門限をすぎて玄関がしまっても、この通り非常口を使えば出入りは可能なのだが、無断での門限破りは一応禁止。罰則はないから気は楽なのだが、寮長にちくちくと嫌みを言われるのが地味に面倒臭くてやっかいだったりする。……クラウドはもう慣れっこだが。
二人並んで暗い廊下を歩いていたら、またザックスさんと飲んでた?と聞かれた。
クラウドは門限破りの常習犯、勿論ザックスと遅くまで飲むことが多いからだ。罰則はないとはいえ、律儀に門限を守っていたクラウドに、そんなもん守る必要ないって、と余計な入れ知恵をした張本人。
クラウドはため息をつきながら、そうだよ、と友人に答える。
ふーん、と呟く友人の声と視線を背中に受けながら階段を登り、部屋の前で立ち止まる。酔っ払って足取りが覚束ず、階段で遅れを取った少年は、部屋の前でやっと追い付いてきて、クラウドの後ろでドアが開くのを待っている。
なぁ、さっきの話だけど、とそわそわしながら彼は言った。口淋しいのかガムを噛みながら、しかしどことなく雰囲気が浮ついているのは、彼自身が今春真っ盛りだからか。
「仲良いよなぁ。おまえとザックスさん。いっつも飲んでる気がするけど」
酔っぱらいの他愛もない言葉に、クラウドのカードキーを出す手が止まった。クラウドの表情が僅かに動いたのだが、薄暗い中ではいくら目が慣れていても顔を覗き込まないとその変化には気付かないだろう。
それでも僅かな間からクラウドの変化を感じとったのは、まがりなりにも同室二年目のよしみだろうか。
「どうかした?」
「……別に」
クラウドの低い声に、かくん、とぎこちない動作で友人が首をかしげる。
「おまえらってさぁ、できてんの?」
「……寝言は寝て言え」
酔っ払いが、と吐き捨てるとクラウドは素早くカードを通し、逃げるように室内に身体を滑り込ませた。


最初の夜以降、ザックスにはそれから何度か、退社時間が重なる度に飲みに誘われた。他に知り合いもいるだろうに、親しげに寄ってきては肩に手を回しじゃれてくる友人(と、少なくともクラウドはそう認識している)を嬉しく思いながらも、素直になれないのがクラウドのクラウドたる所以。
久方ぶりのお誘いにも、内心では付いて行くことが決定しているのに、口ではおまえ他にも飲み友達くらいいるだろ、と言って腕を振りほどく。
「だいたいなぁ……おまえと一緒にいると目立つんだよ」
「久しぶりなのに冷たくないか?いいじゃん、別に目立つくらい。てかそんな目立つ?」
「あんた一応ソルジャーだからな」
「――ああ、そういう意味か」
合点して頷くザックスに、こいつもしかして友達いないんじゃないかと疑念を抱く。
ソルジャー仲間はいないのか、と言うと、みんな忙しいって、と言う答えが返ってきた。
「おまえ……」
呆れた声音で呟くと、ザックスが慌てて制止した。
「いや、まて、たぶん誤解だクラウド。俺は先月ちゃんと忙しかった、遠征行ってたし」
「……俺、なんも言ってないけど」
「さぼってると思われたら心外だし……」
「天下のソルジャーさま相手に思ってねぇよ」
呆れてため息を付く。だいたい二ヵ月ぶりだろ、と言うとそうそう!とぱぁっと表情を輝かせた。犬だ、大型犬だ、とクラウドは思う。大の男が欝陶しい、と思いつつ、懐かれていることに悪い気はしない。
「先々月は目ぇ回るくらい忙しかったし、先月はウータイ行ってたし、帰ってきたらそーいやおまえの顔見てないなーって思ってさ、あの電灯の辺りで」
「……なんでそんな微妙な場所で?」
いつもより口数が多く、普段ならスルーするようなザックスの言葉にも丁寧に突っ込むクラウドに、ザックスはますます上機嫌で笑顔も普段の二割増し。こっいつ可愛いなぁ!っとアルコールも入っていないのにハイなザックスの、わしゃわしゃと頭を撫でる手に翻弄されながら、クラウドの表情も緩む。
2ヶ月ぶりに二人きり、酒が入ればザックスのスキンシップは度を超して激しくなり、首に腕を回されてキスする寸前まで近付いたザックスの顔にクラウドが我慢仕切れず腕を振り払うと、しゅん、とした顔をする。
「やだった?」
「近いんだよ!」
「いいじゃん友達だし」
よくない!と胸中クラウドは叫んだ。友達だから嫌なんだ、とクラウドは困惑する。
はじめて飲みに行った夜から、自分は彼を友達とは見ていないのに!
「……クラウド?どした、飯足りない?」
そんなクラウドの複雑な胸中露知らず、能天気に笑う自称「友達」にクラウドは何といっていいかわからず黙り込む。
――好きなんだけど、と言ってしまえたらどれだけ楽か。
過激なスキンシップも、毎度自分を誘ってくれるのも、深い意味はないんだろうなと冷静な頭が理解している。
その一方で、やっぱりどこかで少し、淡い期待を捨てきれないのはこれが所謂恋する気持ちと言うやつで。
自分たちの仲の良さを目の当たりにした人たちから、おまえら付き合ってるのか?、と聞かれたことは一度や二度じゃない。あり得ないと仏頂面で答える度に、やっぱりそう見えるのかな、と内心にやけているなんて、絶対言えるわけがない。
ザックスはにこにこしながら、先月行ったウータイの川が故郷の川の形に似ていたと嬉しそうに話している。
俺の田舎、水道が通ってなくて井戸水で生活排水垂れ流しで、川が汚くて泳げなくて、ともう耳タコになるくらい聞かされた話を嬉しそうに話している。
それ、もう聞いたよ、とやんわり言えば、気を悪くした様子もなく、ごめんごめんとクラウドの頭を撫でる。
そんな笑ってばっかりで、よく表情筋つらないよな、と憎まれ口を叩くのも、随所随所で挟まれるスキンシップの照れ隠し。
「だって俺、おまえと話すの楽しいもん」
と笑うのは反則だと思う。もしかしてちょっと、期待してもいいのかな、なんでその顔を見るたびクラウドは思ってしまって、俯いて動悸を押さえるのがやっと。
動揺して汗をかいて涙目になっているクラウドに、いつの間にかグラスも料理皿も綺麗に平らげていたザックスが、二軒目行く?と首をかしげた。
「ああ……」
時計を見れば結構いい時間で、明日のシフトとか仕事の後の講義の予習とか考えたら帰った方がいいのは明白なのに、自分からもう帰るとは言いたくない。
「……帰る?」
と優しい声で言われて泣きたくなる。帰りたくはないんだけど、と言うと、もしかして金ない?と見当違いの心配をされてしまった。
「金……はないけど」
薄給ゆえ財布の中身が寂しいのも事実なのだが、クラウドが迷っているのはそんなことでは勿論なくて、でもなんと言っていいかわからず曖昧に笑う。
「……じゃぁ、俺んちくる?」
「………え?」
「ビールくらいなら買い置きあるし。つまみくらいならすぐ作れるし」
「え、いや、そうじゃなくて」
「嫌?」
まさか嫌なわけない。けれどそんな事を言われたら、どうしたって期待してしまう、とクラウドは、跳ねる心臓を持て余しながら泣きそうな顔で――頷いた。


付き合いは長くとも、ザックスの部屋に来るのは初めてだったりする。
家にいることってあんまりないから、と言う割にはそこらじゅうに服が散乱していて、物が多かった。ザックスの匂いがする、とぽーっとした頭で考えていたら、はいはいここに座ってちょっと待ってて、と服が積まれたソファに座らされ、ビール缶を握らされ、あれよあれよと言う間に有り合わせで作ったにしては豪勢なピザトーストと、チンでごめんねとチキンフライを手渡された。
アルコールの少し回った頭で、ザックスと二人きりのこの状況、何もなくてもお腹いっぱいなのに、食べ物にまで気が回らない。飲んでていいよ、と言われたビールは、握りしめすぎて生温くなっていた。
充分だけど、とつぶやくと、ザックスはそっかと笑う。
いつもの店とは違う、部屋の照明やら部屋を満たしているザックスの匂いとか、天井で回っているシーリングファンの羽音が身体の中に染み込んできてなんとなくクラウドは落ち着かない。
いーだろあれ、通販で安かったんだ、とザックスが笑って、一瞬何のことを言っているかわからず首をかしげたら、天井を指差された。木の羽がくるくると円を描く。
「うるさいなら止めるけど?」
と言われて慌てて大丈夫、と背筋を伸ばした。落ち着かないのはあの音のせいじゃなくて。
「ザックスは」
プルトップに指を引っかけながら、遠慮がちに言う。ぷしゅ、という炭酸が漏れる音にさえかき消されそうなくらい弱い声だった。
「……なんで俺なんかに優しくしてくれんの?」
好き、とまでは言ってもらえなくても、なんとなく放っとけないから、とか、話があうから、とかで充分だった。
少なくともクラウド自身、まったく好意のない相手を二人きりで飲みに誘ったり、家に呼んだりしたいとは思わない。
いくら他人に対して心の垣根が低そうなザックスだって、その辺りは同じだろうと思う。
好かれてるのは解っていたから、それを言葉で欲しかった。
あわよくば、好きだよ、なんて言ってもらえたらいいな、と淡い期待も抱いていていたのに、
「だっておまえ、誘ったら絶対ついてくるし」
と、まぁ、返ってきた答えは予想どおりと言うか、なんと言うか。
せめてもっと何か――うまが合うとかそんな言い方はないもんか、とクラウドは肩を落とす。
予想していたとはいえ、このつれない答え。そんな笑顔で言われたら、怒ることすら出来やしない。
当のザックスはピザから零れたチーズをフォークで絡めとるのに必死で、クラウドが肩を落とすのにも気付いていない。
「それにさぁ」
勿体ぶって続いたザックスの言葉に、ぱっとクラウドが顔を上げた。
勿論ザックスは焦らしたつもりなんて毛頭なく、ただ皿から綺麗にチーズを剥がそうと四苦八苦していて言葉が途切れたに過ぎないのだが、この状況でクラウドに期待するなと言うほうが無理な話。
なに?と低い声になったのは、上ずりそうになったトーンを意識して落としたからだった。
心臓の音が大きくなる。
「……だっておまえ、出身ニブルヘイムじゃなかったっけ?」
「………は?」
肯定するのも忘れて、クラウドはぽかんとザックスを見る。確かにそうだけど、それが何かと固まった。
にかっと人のいい笑みを彼は浮かべ、上機嫌に軽くなったビール缶を持ち上げる。
「辺境出身仲間?」
ビールもうねーや、とザックスが空缶をぱかぱかと指で押して音を立てる。
――確かに、確かに。地方からミッドガルに上京してくる人間が多い中でも、ニブルヘイムやゴンガガと言えば飛び抜けて田舎だ。
10歳の時に給水塔ができて水道が通るまで、毎日井戸まで水汲みに言ってたなんてもうある種郷里のネタ話ではある。
そういえば初めて飲みに行った夜も上機嫌で、やたら故郷の話を聞かされた覚えがあるが、あれはそういう訳かと納得がいった。
納得はいった、が。
クラウドは一度ぴくりと眉を震わせ、手に持っていたビールを飲み干し、空缶をがん!っとテーブルに置いた。
「……そんな、理由か」
フォークを口にくわえて二本目のビールのプルトップに指をかけていたザックスは、クラウドの剣幕に驚いてくわえていたフォークを皿の上に戻し、ビールを開ける手を止めた。
「ク、ラウド?なんだよ、どうかしたか?」
「なんか…もっとないのか。気にいったから、とか、話があうから、とか。そんなんばっかか、おまえの理由は」
「え?」
固まって一瞬後に漸く得心したらしいザックスは、ああ、と首肯する。
「もちろん、それもあるけど」
にこ、といつもの調子で笑うザックスを、クラウドがきっと睨み付ける。
「だいたい、ゴンガガとニブルヘイムを一緒にすんな。あんなタッチ・ミーの原産地」
「えぇ!?」
思わぬ攻撃にザックスが素っ頓狂な声を出すのにも構わず、俺は蛙が嫌いなんだとクラウドは言い切った。
「酔っ払ったらいっつも同じ話しやがって、いっつもいっつもいっつも」
「……ん?」
「あんたのせいで門限破りまくりで寮長に目付けられるし飲み代ばっかで金ないし寝不足、だし」
さすがに様子がおかしいとザックスも気付いたらしく、いやしかしそんな酔う程飲んでたか?と思案をめぐらそうとして一瞬隙が出来たところを、クラウドが突いた。
ぱっと立ち上がったクラウドは、そのままソファに座っていたザックスの膝の上に乗り、胸ぐらを掴んでザックスの唇に口付けた。
「……!」
アルコールのせいもあり、頭の処理能力と反応速度の鈍ったザックスが気付いた時には、眉間に皺を寄せ熱っぽい瞳のクラウドの顔が至近距離にあった。
「……好きじゃなかったら、付き合ってないって」
硬直したザックスの胸ぐらをぱっと放し、俺帰る、とクラウドは立ち上がった。
「ちょっ……」
「だからあんたも」
待ったを掛けるザックスを、クラウドは冷ややかに目で制した。
「俺のこと好きになればいいのに」
言い捨ててマンションのドアを開ける。
俺は今酔っていたんだ、と自分に暗示を掛けるように呟く。
酔ってるから訳のわからないことを口走ったりするし挙動不審になってしまうし、あまつさえキスをしてしまったのも、全部酔ってたからなんだ。
明らかに酔いとは違う頭痛がして、こめかみの辺りに掌をぐりぐりと押しつけた。
寮の建物が見えるまで、クラウドは恥ずかしくて、一度も振り返れなかった。


いつものように非常扉の方に回れば、あっれ、クラウドー?と同室の少年に声を掛けられた。どうやらまた寮を抜け出してデートをしてきた帰りらしく、少しアルコールで頬を赤く染め、にこにこと楽しそうに手を振っている。デジャヴ。二ヵ月前にも似たような光景を見た。
「おまえこんな遅いの久しぶりだよな」
上機嫌に話かけてくる友人を無視して、クラウドは非常扉に手を掛けて、体重を掛ける。
金属の擦れる音が、耳障りで忌々しい。
こんな気分のときに、幸せそうな他人の顔を見るのは癪だった。
後ろで少年が、もっと忌々しいことをわざわざ尋ねてくる。
「今日もザックスさんと一緒だった?」
非常扉を思い切り蹴飛ばしたくなって、しかしあの寮長の長ったらしい嫌みはごめんだと寸前で思い止まった。


ザックスはぽつんと一人残されて、口の中には冷えたチーズが残ったまま、唇にはクラウドの唇の感触が残ったまま。
好きなことを言いたいだけ言って勝手に帰った台風のような友人が最後に言い捨てた言葉を、酔った頭で反芻する。
あれは最後、何か強烈なことをして行かなかったか。暗示を掛けられたみたいに、クラウドの残像がちらちら揺れる。
徐々に理解していく毎に、自然と頭に登る血に、顔が紅潮する。口元を抑えて呻いた。
「あー……そっか」
こんな甘酸っぱい感情は初めてかもしれない。
好きなのかも、と手の下で確認する様につぶやいた。