そろそろ入れるかなぁとザックスが呟いて、干していたシーツを取り込もうと行動を開始した。クラウドはそれに対してなんの言葉もなく、ただ視線だけがザックスを追っている。
商売繁盛満員御礼の何でも屋の依頼も、珍しく今日は一件も入っていない。普段しゃかりきに動き回って東奔西走しているクラウドは、久しぶりの慣れない休日を持て余している。
久しぶりの夜、明日依頼入ってないんだっけ?とわざとらしく語尾をあげて言いながら腰に腕を回してきたザックスを受け入れたのはクラウドで、その選択に些かの後悔もないのだが――いや、しかしもう少しお互い自重すべきだったかも知れない。
休みの日だと言うのに朝からクラウドの腰は痛み身体はだるく、ベッドはタオルケットからシーツから洗濯する羽目になり(実際にその役目をクラウドから仰せ遣ったのはザックスであるのだが)早々にベッドから放り出され寝不足。当然の流れでいつもより一段とテンションの低いクラウドは、滑り止めが片方だけ剥がれて傾くスツールをかたかた言うままに任せている。口数の少なさに拍車がかかって、二人の間に会話らしい会話もないが、ザックスはクラウドが隣にいるだけで幸せだと思う、などと言えば鼻で笑われるだろうか。実際にザックスはそんなできた人間ではなく、たまの恋人との時間、触れたいしキスしたいし抱きたいと欲求に非常に素直。隙あらば真っ昼間から昨夜の続きを、と試みてはいるのだが、何度か様子見にモーションを掛けてみてもクラウドのリアクションが皆無であるため実行には至っていない。
ザックスが開け放した窓から、待っていましたとばかりに吹き込んできた風は、つい一週間前とはがらりと変わって冷たく乾燥していた。クラウドは風の冷たさに眠気もさらわれたのか、その大きな青い目をぱちくりと開け、それから渇きを抑えるのに二、三度瞬きした。
水彩絵の具をめいっぱい水で薄めて大きな刷毛で一気に伸ばした秋晴れの空をバックに旗めくシーツを捕らえようと、ザックスが手を伸ばした。
そうしてザックスが洗濯バサミを外す瞬間を見計らったように、ぶわ、と風がシーツをさらおうと巻き上げる。ちょっ、ま、と慌てて腕にシーツを巻き付けるザックスの口から、思わず間抜けな声が漏れ、後ろでクラウドが堪らず吹き出す気配がする。
悪戯にシーツを翻弄した風は、ベランダから入り込んでクラウドの髪を舞わせ、壁に掛けていたカレンダーをかたかたと揺らした。
シーツの取り込みを手伝おうという気持ちは端から持ち合わせていないクラウドは、まるで他人事のように、いい風、とつぶやいて目を瞑る。
能動的でじっとしていられない性質のザックスと、休みの日を無為に過ごす事を至上の贅沢と考えるクラウドという正反対の性質を持った二人は、一見反りが合わなさそうに見えて付き合いもかなり長い。うまいことカップル間で動静のバランスが取れているのか、対照的なパートナーにお互いストレスを感じることもない。
さすがに、容赦ない風に油断をすれば一枚更にもう一枚シーツを持っていかれそうな状況で、猫の手どころか目の前に立派な腕二本あるのに貸してもくれないクラウドに、多少の恨み言も言いたいところだがこの状況では尚のこと仕方ない。口を動かす前に手を、とザックスは素早くシーツをすべて巻き取りばさっとソファに放り投げた。
「おまえな、ちょっとは手伝うとか……せめて振りだけでも」
ぴしゃりとベランダを後ろ手でしめながら、ザックスはクラウドを睨んでみる。勿論本気ではない。クラウドもそんなことは百も承知で、だってベランダ狭いじゃん、おまえ一人で充分手ェ足りてるし、と可愛げのないこと。
がたがた風がガラス戸を揺らすのを、なんか風強い?などといけしゃあしゃあ言う恋人に、毒気も抜かれてザックスは笑った。
「なんか急に寒くなってきたよな」
「秋だからなぁ、……もう冬か?」
「そうだな」
おまえの季節は終わった、と言わんばかりにクラウドが口元を歪めるのにザックスは苦笑する。無表情に見えて案外細かい感情表現豊かなクラウドの顔の筋肉の動き一つで、考えている事も大体わかるようになってきた。
ほんの数ヵ月前、夏が盛りを迎えた頃、ミッドガルの暑さに耐えかね気力を持っていかれたクラウドが、相変わらずやたらと元気なザックスに、おまえほんと夏男だよな、としみじみ呟いたのが忘れられない。そのクラウドの述懐がなぜかつぼに入り、ザックスは大いに笑った。あの季節が懐かしい。
熱帯生まれのせいか、冬はどうも苦手だ。ソルジャーという一種の特異体質のおかげで、気温の寒暖に対する順応性はあるのだが、それでも寒冷な場所ではなんとなく身体に重りでも付いたみたいに動きが鈍くなる、気がする。実際にはそう差がないが気持ちの問題だ。
「そういやさ」
シーツを軽く畳むザックスの横で、手持ちぶさたに小さく折られたシーツの端の皺を伸ばしていたクラウドが顔を上げて言う。
「晩飯の買い物、行くっていってなかったっけ」
「あー…言った、うん。もう少ししたら行くつもりだったんだけど」
昨夜(というかほとんど朝方)のピロートークを思い出す。なんか肉食べたい、と成長期の子供のようなことを呟いたクラウドに、今更ナニを大きくするのだと卑猥な意味合いもこめてからかってみたら、そちらの意味は完全にスルーされ、「どうせおまえより(身長が)小さいよ」と思わぬコンプレックスを刺激してしまう結果になった。罪滅ぼしも兼ねて明日は腕を奮います、と宣誓した。
「早く行かないと夕方になったらもっと寒くなるし、行くぞ」
「あ、心配してくれてる?」
「ばーか」
やることなくて暇なんだ、と背中を向けて立ち上がるクラウドに、好きだよと囁きながら腰に腕を回す。
「……ばーか」
「可愛い声しちゃってまぁ」
「殴るぞ」
と言ったそばからクラウドの裏拳がザックスの眉間を狙い済まして飛んできて、あわやのところでザックスは首をひねってそれを躱した。


業務用とでかでか掲げられた看板からその周囲数メートル四方に渡って、スーパーの小さな建物に入りきらなかった野菜やら果物やら絞められた鳥やらがこれでもかと積み上げられて、ちょっとした青空市場を形成していた。
廉価で大量の食材を提供してくれるその市場は、昼下がりの微妙な時間帯のせいか快適に買い物ができる程度にはすいていた。
とっとと買い物を済まそうと、調味料その他目利きのいらない加工食品の買い出しをクラウドに任せ、自身は野菜と最大のお目当てである肉を探して二手に別れた。
野菜を選別し、つぎは肉と思ったところでザックスは立ち止まる。鶏豚牛、何がいいかと顎に手をやり、ふと横を見れば『チョコボ肉・本日絞め』の札と、市場では珍しいチョコボ肉の塊があった。一瞬魅かれたものの、生粋のチョコボレーシング好きのクラウドにこれは、とさすがに首をふる。
「ザックス、まだおわってなかったのかよ」
「クラウド……っておまえ何持ってんの?」
平和惚けかただ単に考えこんでいたせいか、気配に気付かず突然呼ばれて内心驚きつつ振り返った。そこまでは平静を装っていたものの、振り向いた先のクラウドが、両腕に買い物袋を抱えているのにはさすがに合点がいかず、ザックスは目を丸くする。クラウド担当と渡した買い物リストはそこまで多くなかったはずだ。
「……ああ、これは俺のじゃなくて」
俺のはこっち、と腕に掛けていたかごを突き出した。かごの底の方に、申し訳程度に塩と小麦粉の袋に冷凍のポテトフライ、頼んだ覚えのないジェノバソースが入っていて、今度パスタ作ってな、という言葉と共に渡された。
「おまえなぁ……でさ、それ誰のなの、どっから持ってきたの」
「マリンの。さっきそこで会った」
「……マリン?」
ザックスの疑問に答えるように、栗色の髪が揺れて、くりくりした瞳の少女がぴょこんとクラウドの後ろから顔を出す。
久しぶり、と微笑む彼女は今やティファと並んでセブンスヘブンの二枚看板だ。昔はあんなに小さかったのに、童顔のクラウドと並ぶと今や年の近い兄妹のようにも見える。
久しぶり、と応えてザックスは腕の時計を見た。ティファが店の買い出しにここを利用しているのは、今までに何度か買い物の最中に出くわしているから知っているが、しかし時間がおかしい。遅すぎる。
確かに夕食の準備には早い時間だけれど、店の仕込みをするのに今ごろ食材を買い込んでいたのでは遅いのではないか。
実際ザックスがティファに遭遇するのはいつももっと朝の早い時間だ。
「なんか普段より遅くねぇ?しかも一人で、今からで間に合うん?」
ん、とマリンとクラウドが顔をあわせた。
何事か二人の間では承知の、ザックスの知らない事情でもあったのか。そういえばクラウドは先にマリンから事情を聞いているのかも知れない、とザックスは納得してクラウドに視線をやる。
クラウドがザックスの視線を受けて口を開くのを遮って、マリンが言う。
「今日はティファが調子悪いから、お店開けないの。買い物も、するのしんどそうだったから私が代わりにと思って……でもなんか楽しくなっちゃって色々買っちゃって荷物増えて困ってたらクラウドが手伝ってくれたの、優しいよねクラウド」
くす、とマリンが笑う。まくしたてたマリンの言葉に、聞き逃しがたい部分があってザックスは眉を寄せる。
「ティファ、調子悪いのか?……風邪とか?」
季節の変わり目で風邪が蔓延しやすい時期だ。
あの、見た目の細腕からは想像も付かない屈強の美人が、風邪ごときに屈する様子はあまり考えられなかったが、店を開けられないというからには相当ではないだろうか。自然と顔が曇るのに、マリンが慌てて手を振った。
「あ、大丈夫なの、全然。ちょっと身体だるいだけって、でもティファっていっつもつい無理しちゃうから、いい機会だから休んだらって私が言ったの」
ティファへの気遣いに、マリンも大人になったなぁとザックスは感心する。昔から背伸びをして大人びた物言いをするこではあったが、最近それに内容が伴ってきたように思う。
「だから大丈夫なの、ね、そうよね?クラウド」
「……うん」
振られて素直に頷くクラウド。
「なんだクラウド、知ってたのか」
「いや……なんかノリで…」
頼りなく首をかしげるクラウドにマリンが笑う。
「なら荷物運ぶの手伝いがてら、見舞いに行くか」
「え、いいよう、ほんと大丈夫。ティファずっと寝てるし、急に二人がきたらびっくりしちゃうよ……たぶんすっぴんだし」
「ティファならすっぴんでも十分だろ」
「そういう問題じゃないの!」
もう、と頬を膨らませるマリンに笑って、とりあえず買い物済ませてくるな、とザックスはかごをふたつ持ってレジに向かった。


途中で寄ったザックス御用達のベーカリーで焼きたてのパンを買い、セブンスヘブン兼自宅に着いたのは太陽の色が少しオレンジがかった頃だった。
ほかほかのパンを抱えたマリンが、もうここでいいよ、と言うのに、中まで運ぶよとザックスが応じる。
「でも……」
「いや、実際荷物多いし、持てないだろ」
それでも躊躇って立ちすくむマリンに、クラウドが低い声で促した。
「ティファ寝てるだろ?……すぐ帰るから」
「……うん」
ごめんね、とマリンが裏口のドアノブに手を掛けようとしたとき、ドアが内側から勝手に開いた。びっくりしてパンを取り落としたマリンが、一瞬きょとん、としてからティファ、と声を上げる。
長い髪がもつれて、ところどころ玉になっている。タンクトップにカーディガンを羽織っただけの姿は、彼女がマリンの話通り今までずっと寝ていたからだろう。
マリン、とティファが寝起きの乾いた声で言う。真っ黒い瞳が焦点を結んだ。
「マリン遅いから……」
「ごめんね、ちょっと色々買い物してて…」
ザックスは声を掛けかねてつったっている。ティファの姿が、あまりに予想外だったのだ。
寝ているとは聞いていた、寝巻姿もすっぴんもサンダルも想定の範囲内だ。いまさらそんなものに照れたり失望したりするほど、ザックスは初ではない。
そんな事を抜きにしても、ティファの様子はどこかおかしかった。
覇気がないのは体調不良ゆえか?しかしそれにしても。
隣で二人のやりとりを見ていたクラウドが、ザックスの荷物を抱えた腕を引っ張った。
「……帰ろう」
「え?」
理解できずにザックスは呻いた。有無を言わさず腕を引っ張るクラウドは、尚も促す。
「ザックス、早く」
「……クラウド?」
ティファの声だった。クラウドの動きが止まる。不穏な声音に、ザックスが思わずクラウドとティファの顔を交互に見やった。
「ザックスも」
初めて彼に気付いた、みたいな声でティファが言った。これだけ存在感のある、両手に荷物を持った図体のでかい二人にどうして気付かないでいられたのか。
クラウドは観念してティファに向き直る。
「ティファ、」
マリンがティファを気遣うように見た。ザックスがクラウドとティファの間に割って入る。
「マリンに体調が悪いって聞いて……でもごめん、やっぱ辛いよな、また出なおす」
「身体が痛いの」
ティファがすがるように言う。別人みたいに幼い顔で。
「この季節になったら傷が疼くの。体が熱くて」
舌足らずで擦れたティファの声は、内容と相まって非常に扇情的だった。
しかしザックスの体は反応もせずに冷えていく。彼女の言う傷、の意味を悟ったからだ。
手があいていたら、きっと腹に手をやっていただろう。昔はザックスにもそこにあった、今は代わりに銃創だらけの筋肉が覆う。腕が痺れる。腹の辺りに温かくて柔らかい感触があたる。
「時間が経ったらマシになると思ってた、でも段々ひどくなって、我慢ならないのよ。熱くて痒くて広がってくみたいなの、周りの皮膚も食っていってるから」辛いの、どうしてクラウドにはわからない?とティファの瞳がクラウドを責める。マリンが彼女を優しく宥め、中に入るよう促した。
「クラウドはどうして平気でいられるのよ?」


三年くらい前からだったんだけど、と肉の塊が入ったレジバッグを回しながらクラウドが言う。
「この時期……だよな、あのセフィロスの事件があったのってさ。元々ティファの身体、まだ傷が残ってケロイドみたいになってて、普段からちょっと痒いからって話はしてたんだけど、やっぱりなんか…思い出したら無理みたいで、相談とか……リーブに頼んでカウンセラー紹介してもらったりも、してたみたいなんだけど」
ぼそぼそ、とクラウドが言う。言葉を選ぶのにひどくエネルギーを消費されるのだと、指をからめてきた横顔が語る。
「なんか年々ひどくなってくみたいで、最初の頃は復興とかでバタバタしてたから気紛れてたみたいなんだけど、最近ひどくて……たぶんほら、皆忘れてくから不安になったんだと思う。俺も今は…こんなナリでもアンタがいるし………あのあとあんなことあって、傷も残ってないし。ほんとは俺が慰めてあげれたらいいんだけどさ、…そんなこんなで、自分だけが置いていかれてるとか、あと、ほら、いまだに悩んでる自分を責めてる節もあるし」
「……じゃあクラウド、知ってたんだ」
うん、と髪が揺れる。日の入りが早くなって、クラウドの金髪にもゆっくり闇が染みてくる。
「今年はひどいから、あんまり顔見たくないってティファにも言われてたんだ。…会ったらきっとひどいこと言っちゃうからって」
傷が消えたからと言って、クラウドとて忘れているわけがない。
あの事件とそれに連なる惨劇は、関わった人間に確実に深い影を落としている。ザックスは服の上から腹を撫でた。
「おまえは辛くないのかよ」
長い付き合いで、クラウドの事はよくわかっていると思っていた。自惚れだ。
置いていかれる焦燥感とクラウドはティファの苛立ちの一端をそう表現したが、それはクラウドもザックスも同じこと。
あんなに小さかったマリンが、クラウドともう見かけの年齢はわからない。年を追うごとに年齢差は確実に埋まって、きっともうすぐ逆転してしまう。
アンタがいるから、と言ったクラウドの声は暗かった。
俺には傷を舐め合う相手がいるだけマシだと言わんばかりに。
「辛くはないかな、ひどいこと言われたんだとは思うけど」とクラウドが眉を寄せる。苦々しい表情は、しかし自分自身よりそれを発した彼女の心境を慮っているのが知れた。
「なんか色んな事忘れてるのは本当だから、もう、」
なまじっか整った顔に嵌め込まれた感情の消えた瞳は人形のようで、ザックスは何も言えなかった。
ザックスもクラウドも、きっと気が遠くなるくらい長く生きなければならなくて、忘れるというのはその為の非常に有効な手段であるとしても、クラウドの言葉は淋しすぎた。
「あーあ」
重苦しい空気を払おうと、クラウドが両腕を伸ばす。
こういう役回りはいつもならザックスの役目だ。クラウドの所作が幾分ぎこちないのは仕方ない。
「パン、冷めたよな。折角焼きたて買ったのに」
「……そう、だな」
ザックスがぽつりと呟いてそれきり、生まれた沈黙にクラウドが首をかしげ、それからふふ、と息を吐いた。ザックスの頬に、体温の低い彼の手が触れる。
泣き虫、とクラウドが愛しそうに呟いた。