――こっち向かって歩いてくるから、絡まれるかと思ったんだ。
態度が悪いとか愛想がないとか睨んだとか言っていちゃもん付けられて絡まれるのは、クラウドには結構日常茶飯事みたいなもんだったから、相手が寄ってきた時もきっとその類だろうとクラウドは勝手に見当付けていて、とりあえず被害だけは小さくしなくてはと手に持っていた空のジョッキをパントリーに戻した。頭を下げるのに躊躇することはない。慣れっこだった。だって相手は一応客、だし。
客の質は店の質と相関関係にあるのか、こんなスラムのごみごみとした空気をそのまま凝縮した様な飲み屋にまともな客が来ることはまぁ、ない。手配書が回っているようなお尋ね者やら怪しい集団、テロリストとかが来て、そのちょっと後にプレートの上の制服来た連中が店長の所に事情聴取と称してやってきては金を握らせて追い返す、みたいな事を繰り返している。
クラウドは何故かそんな連中に目を付けられる事が多々ある。こんな場所で働く子供、しかもこの辺りでは見ない真っ白で透けるような肌に色身の薄い金髪碧眼が、そんな連中の嗜虐心をそそるのかも知れない。クラウドにからんできた連中は、どこぞの娼館の用心棒らしいのだが、いたくクラウドを気に入って、テーブルの上に隠すことなく堂々と置かれた拳銃を見せながらクラウドの尻を触り、一発どうだ撃ってみたくないか、と囁きながら肩に腕を回す。その辺りはクラウドも慣れたもので、忙しいふりをして辞退したのだが、相手も中々の強者だったらしく、トイレの前まで付いてきてナニを握られ執拗に迫られた。
思い返せば溜め息。店内でよかったとしみじみ思う。蹴り飛ばしたい衝動を押さえるのには苦労したがそれも慣れだ。
なんとかその輩をやり過ごした後、忙しさのピークもちょっと過ぎたくらいに来店した10人ほどの団体客は、揃いも揃って普通の人より一回りごつい筋肉、固そうな皮膚には大小様々な刀創、顔つきだっていかつく、笑っていても滲み出る剣呑な雰囲気が明らかに堅気ではなかった。ああやだなぁと溜め息をつく。つい今しがた、そんな連中に粘着質に絡まれて体力を使い果たしてきたところで、また同じように絡まれたら、と考えるだけで憂鬱になる。
10人とか飛び入りできたごつい団体様がわらわらと席につくと、ただでさえ狭い店内がさらに狭くなった気がする。うんざりしながらオーダーを取りにいった所で、一番通路側に座っていた男と眼があった。とんとんと長く節ばった武骨な指でテーブルを叩いていたのが、クラウドを見て止まる。
――あ、
ソルジャーだ、とすぐに気付いた。クラウドの天然の青とは明らかに違う、人形に埋め込まれたガラス玉みたいな瞳は、薄暗い店内でも猫の目よろしく光るのですぐわかる。暗い店内で絞られた瞳孔が彼らの風貌と相まって、見た目その辺のチンピラよりよっぽど凶悪だった。
クラウドは思わず二、三度瞬きして――はからずも男と見つめ逢う形になってしまったのだが、それにも気付かず――その特徴的な瞳を見つめた。ミッドガルに出てきてすぐの頃、初めて生で見たその青い輝きに、これが憧れのソルジャーの証かと胸踊らせたものだが、今それを見て胸に浮かぶのは嫉妬、羨望、とにかくマイナスな感情ばかり。
見つめあった時間は長かったのか、短かったのか、ともかく体感時間はひどく長いものだった。
その時間が終わったのは、ザックス、と呼ばれて男がふいと視線を逸らしたからだった。
「……注文は」
はっと我に返ってクラウドが言う。よく見てみればこの男以外も皆それぞれ、濃淡の違いはあれど青く光る瞳。クラウドの動揺はお構いなしに、でかい声で口々にビールと言う中で、一つだけミルクと言う声が交じる。
「なぁ」
伝票に注文をメモしていたクラウドが顔を上げる。ザックスと呼ばれた男が、にやにやしながらこちらを見上げていた。
「なにか」
「おまえ、名前なんてーの?」
「……は?」
ここポテトフライ置いてる?並のさり気なさで言われて、クラウドは思わず固まった。それからさっき感じた憂鬱が、また胸に沸き上がってくる。
一人ミルクを注文した男が、ザックスの病気が始まったと嬉しそうに言い、周りが応じて囃し立てる。酒が入る前からこのテンションか、と周りにもげんなりした。男は逃がしてくれる気はないらしく、クラウドが眉を顰めるのにもお構い無く、なぁ、と重ねていう。
「……クラウド、です」
苦虫噛み潰した様な苦渋の表情で言い捨ててテーブルから逃げれば、今度はやーい振られた!と言う一層大きな歓声があがった。
自分でも結構、あからさまに嫌がりすぎたという自覚はあった。だからその後何度かテーブルに呼ばれても絡まれないことに安心する反面、もしかして怒ってるんじゃないかと危ぶんでいた所にトイレに立っていたらしい男が寄ってきたから、クラウドは少し警戒した。
「なぁ、おまえ――」
手からグラスを離して、クラウドはザックスを見上げた。さっきから結構飲んでいる割に酔っている様子はない。魔晄の瞳に見据えられ、気分はミドガルズオルムに睨まれたタッチ・ミー。次に何を言われるか、罵倒されるか胸ぐらを捕まれるか、それくらいザックスは怖かった。
「クラウドって言ったっけ、おまえ」
「はい」
狭い店の狭い通路で対峙して、真面目な顔のザックスに思わず腰が引けた。
むき出しになった上腕はクラウドの腕二本束ねたよりも太い。ソルジャーは肉体是凶器。それで殴られんのだけは勘弁、と思いつつも最悪の場合に備えて覚悟を決める。ザックスは思案気に顎のあたりにちょっと指を触れて言った。
「……仕事何時あがり?」
「はぁ?」
女の子みたいに可愛いとか綺麗とか不本意ながら言われるクラウドであるが、その時ばかりは自分でもわかるくらい、ぶっさいくな顔をしていたと思う。
別のテーブルから店員を呼ぶ声が飛んでも、固まってしまった両者は通路で睨み合い。焦れたザックスが、とうとうクラウドの腕を掴んだ。
「なぁ――」
思わぬ力で手首を掴まれ、クラウドの肩がびくりと震える。突然の暴挙、しかも相手はソルジャーだ。青い目がクラウドの顔の目の前にあった。怖い、と本能的に思って、クラウドは仕事中は封印していたはずの右足で思い切りザックスの脛を蹴り飛ばした。
強烈な不意討ちに、そこはソルジャー、蹲りはしなかったもののさすがに怯んだ。ザックスの力が弱まったのをこれ幸いと手を振りほどき、クラウドは厨房に駆け込んだ。
どうした?と血相変えて逃げてきたクラウドに店主が声をかける。落ち着いて考えれば、さすがにちょっとやりすぎたかもと戦々恐々、なんたって相手はソルジャー、神羅のエリートだ。
スラムに住むクラウドなんかよりよっぽど金も権力もある。
どうしようどうしよう、脅されたら、報復されたら、と内心パニックを起こし、仕事に行けとどやされホールに戻った時には、ザックス含むソルジャー一行はいなくなっていた。
それから数日、クラウドは気が気じゃなかった。名前も顔も割れている。いつあの男が蹴られた借りを返しにくるか。スラムに住む人間にとって、プレートの上の人間、特に神羅の連中ともめ事を起こす事は命の危険を意味する。スラムの人間の命は、プレートの上で交わされる書類一枚より軽いから。それくらい、スラム暮らしの短いクラウドにも分かっていたから、自分のしてしまったことを思い出すたび、ああ、と頭を抱えたくなる。実際に家で一人、自分の軽慮に身悶えた。
しかしソルジャーが怖いと言って、今のバイトをやめるわけにはいかない。ミッドガルでやっとこさ見つけた働き口だ。辞めてしまえば、次の仕事が見つかったとしても、それが今より危なくない保証はまったくない。気を抜けば騙されて身体を売らされる様な場所なのだ。仕事がなければ、ソルジャーが怖い云々以前に、それこそ野垂れ死にだ。
そんな進退窮まったクラウドの苦悩なんて露も知らないザックスと偶然スラムで再会したのは、その数日後だった。
雑踏でその目立つ立ち姿を見つけたクラウドは、バイト先に向かう途中だったにも関わらず、迷わず回れ右して脱兎のごとく逃げ出した。
同じくしてクラウドに気付いたザックスが手をあげるのにも勿論無視。
「――おい!」
まさか逃げられると思わなかったのか、焦ったザックスが凭れていたコンクリの壁から背を浮かした。
雑踏の中逃げるのは、身体の小さいクラウドが有利。地の利もある。
逃げ切れるとはクラウドも思っていなかったが、抵抗は出来た。スラムを横断しての追い駆けっこの軍配は、公園に入った所でクラウドの腕を掴んだザックスにあがった。
はぁはぁと肩で息をするクラウドと対照的に、汗一つかいていないザックスは、なんで逃げたの?と頭をかく。
「なん、でって……あんたこそ、なんで……」
「俺はほら、前なんかびびらせちゃったみたいだから謝ろうかと……」
思っただけなんだけど、と何故か自信なさそうにごにょごにょいうザックスに、とりあえず考えていた最悪の事態は回避されたらしいとクラウドは胸を撫で下ろした。
「もしかしてさぁ」
「はい?」
「追い掛けたの、余計恐がらせただけだった?」
スラム暮らしのクラウドにとっては雲の上の人、およそ手に入らないものなんてない神羅のエリートが、やたら困った顔をして自分を見ているのがやけに可笑しくて、クラウドは笑った。息があがっていたせいで、顔は引きつってしまったけれど。