ミッドガルの夏は暑い。
ただでさえ近年の移民流入で人口密度が高くなっているのに、スラムを覆うプレートのせいで排気ガスと暑さが逃げずまさに蒸し風呂状態、空気も衛生状態も最悪。しかもそれが一日中続くのだから堪らない。昼夜の気温差が少ないと言えば聞こえがいいが、つまりは毎晩熱帯夜。冬場ならいざ知らず、まさに夏場は地獄と言っていい。特に北国出身のクラウドにとっては。
二年前ミッドガルに初めてきた夏に暑さと食あたりで倒れて以来、夏に体調を崩すのが恒例行事になってしまった。
目が覚めて開口一番、あっつい、とからからの声で舌打ちする。申し訳程度にお腹の辺りにかけられたタオルケットが少しずれて、ちょっとでも足に絡まるのが我慢できない。
苛々しながらベッドの上で寝返りをうち、ついでに肩までタオルケットを引き上げた。
枕元に置いた目覚まし時計はとっくに正午を回っている。一瞬仕事の時間に寝過ごしたかと思ってひやりとしたが、そういえば一日休みをもらったんだと思い出した。情けなくも閉店準備中に貧血でぶっ倒れたのはほんの数時間前の話。
最近ずっと働き詰めだったし、たまには休めと店長に言われ、ふらふらになりながら帰宅した。帰りぎわに賄い料理だけはしっかりパックに詰めたおかげで食いっぱぐれなかったが、食欲がなくて喉を通らなかった。
おかげで腹が減って仕方がない。
ゆっくり寝たおかげで体調が少し上向いたのだろうか、久しぶりに感じた飢餓感に、壊れかけてあんまり冷えない冷蔵庫を開けるも、中には水と昨日の賄い料理の残りと、賞味期限の切れたハムに暑さで力なく萎れたレタスだけ。
もともと豊潤とは言いがたい食料庫だが、ここ最近暑くて買い物に行っていなかったせいで予想以上に壊滅的な有様だった。
せっかく湧いた食欲がまた減退するのを感じながら、贅沢は言ってられんと賄いの入ったパックとハムを取り出し、肉の塊を裏返す。
変色や怪しげな汁は見られない。恐る恐る鼻を近付け、臭いを確認する。首をかしげてもう一度、ふん、と鼻をならした。
「……大丈夫かな?」
ミッドガル一年目の夏の過ちを繰り返したクラウドは、自業自得とは言え、深刻な脱水症状に陥った。
クラウドを救ったのはザックスだった。クラウドの欠勤を知ったザックスが見舞いに来ていなかったら、本気でヤバかったかも、とクラウドは冷や汗をかく。真っ青な顔のクラウドに驚いて、コンビニに走り水やら薬やらを買ってきたザックスは、改めて冷蔵庫の惨状に気付きもう一度コンビニに向かうことになった。
「おまえ、普段食事どうしてんだ」
とレトルトのスープを温めながらザックスが聞くのも無理はない。部屋は殺風景で最低限の家具しかなく、生命線の冷蔵庫はこの有様、普段どうやって生活してんだ、とザックスでなくてもいいたくなる。
「普段は賄いで食い繋いでるからさ……バイト休むと餓死すんだよな、基本的に。家帰ったら寝るだけだし」
「馬鹿かおまえ」
きっぱり言われて、クラウドがだるそうに抗議の視線を送る。反論したいが、もう口を動かすのが面倒くさい。ぐぅ、と腹の虫がクラウドの代わりに鳴いた。
皿、皿、と呟きながらサイドボードをあさっていたザックスが、ちょうど見つけたいい塩梅の深さの皿を片手にクラウドを見た。
「バイト代は?まだ給料日前じゃねぇだろ」
「……放っとけよ。薬代は返すし」
「いや、そんなんはどうでもいいんだけど……」
心配してんだぜ、とスープを差出しながら真面目な顔で言われて、実際に迷惑を掛けてしまったクラウドはうっと言葉に詰まる。
迷惑かけてごめん、と俯き、湯気の向こうのザックスに言うと、別にいいよ、とザックスは笑う。
「でも来てよかったよ、今日」
クラウドがベッドに身体を起こしスープを口に運ぶ間、部屋に唯一置かれた椅子に腰掛けてザックスは頬杖をついてクラウドの様子を見ていた。なんとか顔色も持ちなおしたクラウドに、ほっと安堵の息を吐く。
「……そういや、なんでわざわざ家まで来たんだ、あんた」
クラウドが顔を上げて首をかしげた。今まで何度か、不幸にもザックスの来店とクラウドの休みが被る事はあったが、家まで来たことはなかった。そもそも場所を知らなかったはずだから、店長あたりに聞いたのだろう。来てくれた事自体はありがたいが、そこまで期待していなかった、正直なところ。
ザックスと出会ったのが去年の秋だから、もう付き合いも一年近くなるが、はっきり言って二人の仲はまったく進展していない。
あれ以来、ザックスはクラウドに気を遣ってか、好きだとかまったく言わないし、特に何か行動を起こすわけでもない。食事に向かう途中の道で、ちょっと手を繋いだくらいだ。
いい加減愛想を尽かされてもおかしくないのに、とザックスの好意に甘えている自覚があるクラウドの方が、なんとなく申し訳なく思ってしまう。
クラウドの言葉にはたと止まったザックスは、部屋の中を見回して、ベッドサイドの卓上カレンダーに目を止めた。椅子から立ち上がると、ベッドの端に腰を下ろす。とんとん、とカレンダーを指で弾いた。
「おまえ、今日誕生日だろ?」
「………え?」
言われて初めて気が付いた。あ、ほんとだ、と間抜けな呟きが漏れる。
当人でも忘れていた事をよく覚えていたなと感心すると、まぁ……と言葉を濁した。ミッドガルに来てから多分三回目の誕生日だと思うのだが、過去二回は完全にスルー、気付いたのは数日経ってからだった。だって誕生日だからと言って誰が祝ってくれるわけでもないし、贅沢する余裕もない。今回もザックスに言われなければ過去二回と同様、きっと忘れていただろう。
「誕生日おめでとう」
と近くで頬笑まれ、不覚にもぐっときた。耳まで赤くなっていそうで、悟られないようなスープに目を落とす。
「三年ぶりかな。そんなん言われんの。ニブルにいた頃は、毎年母さんが祝ってくれてたんだけど」
母さん元気かな、と呟くクラウドの腰にザックスの腕がまわり、スープが揺れない程度の力で引き寄せられる。
それにしたがって少し寄り掛かると、ザックスが笑った気配がした。
スープを置いて顔をあげると、ザックスがクラウドの髪を触りながら、そういえば、と言う。
「おまえ、ニブルヘイム出身だったよな」
「……うん、そうだけど……え、なんで?」
瞬きをしながら問い返すと、ザックスは、んー……と少し呻き、なんでもないよと笑った。
「そんな事よりさぁ、キスしていい?」
「………はぁ!?」
思わず素っ頓狂な声をあげたクラウドにザックスは苦笑した。ザックスの手を意識して、クラウドが身動ぎ腰を引いたが、力を入れていない様に思える彼の腕はまったく動かない。戸惑い視線が中を泳ぐクラウドに、雰囲気壊すなよ、とザックスが例の殺人的な微笑みを浮かべて言うので、観念して目を閉じた。
ザックスの言葉通り、不定期で因果な稼業だ、ソルジャーとは。クラウドの元に足繁く通ってきていたザックスが、あのクラウドの誕生日以来ぱったりこなくなった。
特に大きな戦争やらテロがあったと言う噂もない。心変わりかな、とちらりと思った。
まさかな、キスまでしたしな、なんて自分を安心させようとしたのはいいものの、キスされたのを思い出して逆に動揺した。
しかしちょっと待てよ、と眉を顰める。
キスをしたからと言って、未だお互い確たる言葉を交わしたわけではない。もしかしたらキスだけして満足してしまったのかも(冷静に考えればそんなことはありえないのだが、16歳になりたての恋愛経験値のないクラウドのマイナス思考が生み出した憶測で)、そう考えると、なんと脆い絆だろう。
手もつないだしキスもした。好きとか言わなくてもザックスは自分にあわせてくれているから、離れていかないだろうなんて楽観視していたのがまずかったのか。
変な意地はらずにさっさと好きだと告白しときゃよかった、とクラウドは思う。あの日以来、何かが吹っ切れたのか、まぁ仕方ないよな、自分がソルジャーになれなかったのも運がなかったんだし、と思えるようになったクラウドだ。
ザックスとの事だって素直になろうと思った矢先なのに、肝心のザックスが姿を見せない。
仕事をしながら一人、青くなったり赤くなったり(と言っても常人と違いクラウドの表情にほとんど変化はないのだが)、人知れず苦悩していたクラウドの元にやってきたのは、ザックスの同僚のソルジャーだった。初めてザックスがこの店に来た時に一緒にいたメンバーの中の一人で、それから何度かザックスと二人で来ていたからクラウドとも顔馴染みだった。珍しく一人で来た彼に首をかしげる。
なんとなく嫌な予感がする。だって彼が酒を飲みに来たとはどうしても考えられないのだ、なんたって彼は下戸だから。
ザックスはどうしたんだろ、と表情には出さずどきどきしながら頼まれたオレンジジュースを持っていけば、久しぶりと挨拶された。
「あの、今日は一人ですか?」
彼(確かスティルスと言う名前だったのだが)は、ストローで一気に半分ほどジュースを吸い上げながら、ああ、と言う。
「今ザックスさ、ニブルの魔晄炉調査に行ってて……最近あいつ来てなかっただろ?」
「……ニブルの?」
紛れもなく耳に聞きなれた故郷の名前。ニブル魔晄炉と言われてクラウドの脳裏に浮かぶのは、故郷の山とその山頂付近に聳える雪に埋もれた建造物、晴れた日には神羅カンパニーのロゴが村からでも薄らと見えたものだ。
くすんで剥げかけた赤い塗料が、クラウドの目の裏でちかちかと瞬く。
そういえば最後に会った日、ザックスに出身地を確認された事を思い出す。キスとかでうやむやになってしまったが、あれは時期的にもニブルヘイムに行く事が決まった頃だろうか。
言ってくれればいいのに、とクラウドは思ったが、後で考え直した。もしかしてザックスは自分を慮ったのだろうか。
確かに聞いていればちょっと動揺していたかも知れない。
ソルジャーになると村を出たのに、神羅に入る事すら叶わず、故郷に帰ろうにも金銭的に帰れない惨めな状況。神羅に入ってうまくやっていれば、ソルジャーとはいかずとも、ちゃんと働いて大手を振って故郷に凱旋できていたかも知れないのに。
「なーんか予定より調査が長引きそうだって連絡がきてさ、言わずに来たから、クラウドが心配してちゃ悪いからって。この前連絡入ってん」
それを言いにわざわざ来てくれたのかと、クラウドは驚いた。何か食べますか?サービスしますけど、と言うクラウドの申し出に、彼は笑って首を振る。
すみません、とずるずると音を立てて空になったグラスで遊んでいるソルジャーにお礼を言った。
ニブルヘイムにザックスがいる――ソルジャーとして。そう考えると、やっぱりどんなに頑張っても消えない羨望とか妬み、自分の境遇を嘆く気持ちで胸が騒めく。よりによってなんでニブルに、と複雑な気持ちになったが、いやいや魔晄炉調査なら戦争なんかよりよっぽど命の危険も少ないとそれを打ち消した。
考えようによっちゃいいきっかけだよな、とクラウドは口の中でつぶやいた。
母さんに久しぶりに手紙を出してみようかとクラウドは思った。家を出て以来、情けなくて、手紙もろくに出していなかった。
ちゃんと近況を伝えよう、ソルジャーにはなれなかったけど、ミッドガルで頑張ってます、いつか必ず帰りますって。
ザックスにも、帰ってきたらちゃんと自分の思いを伝えよう。
……好きだよって。