それから3日、クラウドはバイトをさぼった。食事をするのに、いつかニブルヘイムに帰るためにと貯めていたヘソクリに手を出した。もう帰る故郷なんてないから、残しておいてもどうしようもない。
……と言ってもクラウドのバイト代で貯めたヘソクリなんてたかが知れている。すぐに底をつきかけた。
それに加えて、今まで働き詰めでやってきた人間が、急にすることがなく時間を持て余すのはどうも具合が悪かった。考えたくない事――主に故郷や母親や幼なじみにザックスの事、を考えてしまうらしい。おかげで仕事を休んだのに余計に荒んだ。
結局どんなに辛くても生活費を稼ぐためには働くしかない。それ以前に何かしていないと気が狂いそうだった。
定食屋の主人も飲み屋の店長も、4日ぶりに現れたクラウドに驚いた。
もう一度働かせてください、と無理を承知で頭を下げれば、意外にも構わないと返事が返ってきた。
ありがとうございますと更衣室に向おうとするクラウドに、飲み屋の店長が待ったを掛ける。
給料カットかな、と暗い気持ちになったクラウドに店長は
「おまえが休んでる間に、あの、いつもの人来てたぞ」
と言う。
「あー…俺が飛んだ最初の日にですか?」
「いや、じゃなくて。その次の日も来てた」
え、と目を丸くした。初耳で驚いたし、一瞬すごく動揺した。
クラウドはミッドガル市民IDを持っていないから、プレートの上に住むザックスに直接会いにいく術はない。電話番号くらいなら、前倒れた時に聞いた気がする。家にメモがあったはずだが、そこまでしてクラウドからコンタクトを取ろうとも思わなかった。悲しいとか会いたい、今のクラウドの気持ちは、そういう類のものとは少し違った。
「来てないって行ったら焦ったから、あっちの店も教えたんだが……行ったんかな」
「さぁ、どうでしょう」
向こうでは何も言われませんでしたけど、とクラウドは応えて、更衣室のドアノブを回した。
ニブルヘイム事件は、その衝撃とは裏腹にすぐさま沈静化し、数ヶ月後には話題にも登らなくなった。事件の扱いがその規模や悲惨さに比べて顕著に小さかったから、神羅がマスコミに圧力をかけて報道規制を敷いたとかいう噂がまことしやかに流れたが、ニブルヘイムがあまりにミッドガルから離れていたこと、事件を切っ掛けに各地で反神羅活動が勢いを盛り返したことが、事件が早々に下火になった最も大きな要因だろう。
スラムの住民の興味は、ミッドガルから遠く離れた寒村の悲劇ではなく行方不明になった狂った英雄だったから。
やがて捜査は打ち切られ、精神に異常をきした英雄の突発的な狂気の発露、と言うことで一応の結末を得たらしかった。クラウドは蚊帳の外、ニブルヘイム周辺は神羅軍によって閉鎖されていて、クラウド達郷里のものすら近寄れなかった。
ザックスもザックスの同僚のソルジャーも、それ以降店に来なかった。
クラウドが最後にザックスに会ったのはそれから半年してから、ザックスは店じまいが終わった時分にふらりとやってきた。
そろそろウータイ相手に派手に一戦やらかすらしい聞いていたから、クラウドはザックスを見ても驚かなかった。
久しぶり、と笑う。
元気だったか、とか、調子はどうだ、とか、二人は久方ぶりに再会した友人と言う役目に則り、上手にマニュアル通りの会話を成立させた。
家まで送る、とザックスが言い、クラウドは頷いた。
当たり障りのない、上辺を優しく撫でるだけの世間話は、ウォールマーケット半ばで底をついた。
二人して沈黙して気まずい空気、それでも幸いだったのは、夜中でもスラムの街が活気に満ちている事だった。二人の間に聞こえるのは風の音だけ、なんてなってしまったら目もあてられない。以前はよくあんなに喋れていたなぁ、とクラウドはバイトのあと一晩中飲み明かしていた事を思い出してしみじみ感心する。――まだあれから一年も経っていないのにな。
ザックスが酒の席に誘わなかったのは、会話を続ける自信がなかったからではないだろうか、とまで勘ぐっているうちに、ウォールマーケットを抜けてしまった。
途端にぐっと往来から人の影が減る。神羅ビジョンの横についたスピーカーが、この一帯唯一の音源だったのだが、内容はウータイ戦を匂わす神羅万歳とか国威発揚を謳うもので、クラウドはため息を吐きたくなった。
「……なぁ」
例の公園をすぎ、そろそろ散歩も終わりに近づいたところで、ザックスがやっと口を開いた。しかし思い詰めた真剣な声はとても世間話をしようとする雰囲気ではなく、クラウドはザックスを見上げた。
「俺、三日後にウータイ出征なんだけど」
「……え」
「最後におまえに会いたくなって」
予想はしていたものの、どき、とクラウドの胸が飛び上がる。
ソルジャーに対する管理体制が、セフィロスのニブルヘイムでの一件以来厳しくなったのは噂で聞いていた。
遠征前三日間の調整ルーム入りの義務化とか、今まで無制限に認められていた武器携帯の禁止とか。もちろん、三日後に遠征を控えるザックスがここに居ていいはずがない。
破った場合までどうなるかはわからないが、結構やばいんじゃないだろうか。
相変わらず無茶苦茶すんな、と言うと、うーん、と唸った。
「前の事件の時だってさ、ほんとはスラムに来るのも駄目だったんじゃないの」
1ヶ月もニブルヘイムの事件を隠蔽していた神羅が渋々ながら初めて事件を公表した日に、クラウドに会いに来たザックス。事件のほぼ唯一の生存者であるザックスが、事件公表まで治療を名目に監禁されていた、と言うのは冗談抜きに真実だったのだろうと思う。
怪我も骨折程度、とザックスはなんでもないように振る舞っていたが、ソルジャーに比べればとても非力なクラウドが、簡単に振りほどけるほどけてしまったザックスの手とか、そもそも常人の何倍も回復力がある(という)ソルジャーが、名目上とは言え治療に1ヵ月も要するような怪我とは、一体どんな怪我なのか。
今思い付くだけで、いくらでもあの時ザックスが無理をしていた証拠が挙がる。クラウドを追い掛けて来なかったのも、自制出来ずにきつい言葉が口を吐いてしまったのも全部。
きっとあの時、ぎりぎりの崖っ淵にいたのはクラウド一人じゃなかった。ザックスも隣に並んでいたのに、クラウドは気付かなかっただけで。
ザックスは苦笑いをして言葉を濁し、クラウドはそれ以上追及しなかった。肩をくっつけてキスするような親密な時間は、とっくに終わってしまっていたから。
もしさぁ、とザックスが話題を変えた。
「もうちょっと出会い方が違ったら、俺らうまくいったかな」
もう人通りもない。たまに民家のバラ屋から漏れる光とかテレビの音で、人の気配がする程度。
喋っていれば案外声が響くので、クラウドは少し声を落とした。
「……例えば?」
うーん、とザックスが考え込む。
「俺がソルジャーじゃなかったり、とか?俺とおまえが幼なじみだったりして」
「それだと余計にない」
あっさりとクラウドに即答され、ザックスは鼻白む。
なんで、と不満げにザックスが言うと、だって俺、おまえみたいに人見知りしないタイプ苦手だったもん、と応える。
「……きっと、どんな出会い方しても駄目だったよ。俺が意地はっちゃって、気付いた時には全部手遅れになって、結ばれないまま終わりだよ。……今みたいに」
「そう……かな」
「そうだよ」
声がしんみりしてしまって、うまく笑い話にしたかったのにな、とクラウドは胸中で後悔した。
クラウドの住むアパートの前で立ち止まり、ここでいいよと手を振った。
ザックスはその数歩手前で立ち止まり、無表情でクラウドを見ている。
ああ、困った顔してるな、とクラウドは思った。
「そういや俺、まだおまえの働いてる定食屋いってないわ。つーか、定食屋で働いてんのも知らんかった」
「……そうだっけ?ああ、おまえがニブルヘイム行ってる時に始めたバイトだからな」
振っていた手を下ろすと、ザックスの口元が安堵で弛んだ。
手振ったからって、追い返すつもりはなかったんだけどな、とクラウドは苦笑する。
「……帰ってきたら、昼飯喰いに行くよ」
だからバイトさぼんなよ、と笑いながら釘を刺して、ザックスは来た道を帰っていった。
クラウドはいつまで後ろ姿を見てればいいだろうかと考えたが、奴は振り向く様な性格でもなし、とさっさとアパートの階段を昇った。
階段の踊り場でちら、とクラウドは振り返る。そこからだと、暗い階段しか見えなかった。
荷物をおいて、部屋の窓からもう一度外を見たが、すでにザックスの影はなかった。
(そして彼とはもう、それきり。)