ティファの家に物取りが入った、らしい。
ベヒーモスにドラゴン、かつての英雄をもその剣の下葬ってきたクラウドでさえ、彼女と拳を交えるのは勘弁願いたいと思うのだが、幸か不幸か、一見彼女はそんなふうには見えない。まさかその細腕で、喩ではなく現実に、易々岩を砕くなんて誰が思うだろうか。
災厄以来治安の悪化著しいスラムで美人が切り盛りしている店なんて他にはない。評判を聞き付けてやってくる客も多く、このご時世に結構繁盛しているようなのだが、それが仇になったのか。
泥棒に入られたのはティファが店に出ている時間。侵入されたのは店ではなく家の方で、裏口の鍵が壊されていた。虫の知らせか寝付きが悪く、一応ベッドに入ったもののまんじりともしていなかったマリンが、階下の不信な物音に気付き、すぐさまティファに助けを求めたために事なきを得た。しかし一歩間違えれば物取りと鉢合わせしてもおかしくなかった状況に、恐怖のあまり放心していたマリンは、ティファから連絡を受けて慌てて駆け付けたクラウドとザックスを見た途端、気が弛んだのか堰を切った様に泣き出した。
店に戻ったティファの代わりにマリンの傍らでその日は一夜過ごしたクラウドとザックスだったが、同じ事が二度とないとは限らない。
明け方、店を閉めて慌てて戻ってきたティファは、クラウドの手を握ったまま眠るマリンの寝顔に残る涙の跡を見ながら、「店たたもうかな」とつぶやいた。
店を放っておくわけにはいかずに戻ったのだが、マリンの事が気になって仕事が手につかなかったらしい。幸い常連客たちの配慮でいつもより早く店をしめたものの、毎日がこんな調子ではとてもやっていけない。こんな時はバレットが傍にいるのがマリンにとって良いのだろうが、油田開発の責任者として世界中を飛び回っている。立場上すぐにミッドガルに帰ってくるのは到底不可能だろうし、最低でもその間は店を閉めて、マリンの傍にいてあげたい、と言うティファの顔はたった一晩でとても疲れていて痛々しくて、見兼ねたクラウドが「マリン、うちで預かろうか」と提案した。
最初は難色を示していたティファだったが、目を覚ましたマリンに、クラウドとだったら平気だからと言われて漸く首を縦に振った。実際問題、店を畳んでしまっては暮らしていけないのだから仕方ない。
仕事の時だけお願いしてもいいかしら、と平素から想像できないくらい弱々しい声音で言ったティファの手を握り、クラウドは、大丈夫だから、と囁く。ありがとう、と彼女は小さく呟いて、肩を震わせ頷いた。
その翌日から、夕方セブンスヘブン開店前にザックスかクラウドのどちらかがマリンを迎えに行くのが日課になった。最初の数日間はクラウドの仕事の都合で、ザックスがお迎え係を買って出ていたが、最近は専らそれはクラウドの役目だ。ザックスは家で炊事係。家事の類が苦手なクラウドだから、自然な流れでこうなった。
何でも屋の仕事もセーブして、日中の内に終わる依頼ばかりを受けるようになった。
セブンスヘブンからクラウドのアパートまでの道すがら、今日はどこで遊んだとか教会の花が綺麗だったとか、よく話題が尽きないなと感心ほどマリンはよく喋る。
へぇ、とかそっか、の基本的な相槌に留まらず、ふーん、で、ティファは何ていってたの、とか、それでマリンはどうしたんだ?、とか応えてやるとマリンはとても嬉しそうに目を輝かす。こんな子供得意だったっけな、とクラウドは自分の成長にも感心しながらマリンと手を繋いでスラムを歩く。
昔の自分はお世辞にも愛想がいいと言うわけではなく、寧ろコミュニケーション能力に欠けるところが多々あった。でなければ友達はザックスだけ、という状況には陥っていなかったはずだ(と言うのは大げさにしても、友達と呼べる人間が片手で足りる程しかいなかったのは真実だ)。
それが今や子守りまでこなしている。
ザックスがよく喋るから聞き上手になったのかも知れない、なんて自画自賛しながらマリンと歩く時間は、何でも屋の仕事に忙殺されるクラウドの憩いだ。
路地裏に潜む猫を見つけたマリンの小さな冒険に付き合い、真っ直ぐ歩けば20分掛からない距離を行くのに一時間以上かかってしまった。
さすがに辺りが薄暗くなって、ザックスに怒られるかもと笑いながら家に帰ったら案の定、遅すぎる、と二人まとめて説教を食らった。
手洗ってこいー!とマリンを洗面所に追い立てて、ザックスはクラウドに耳打ちする。
「どうだ、マリンの様子」
「だいぶ元気になったみたいだけどな…今日も猫おっかけて暗がり入っていったし」
「そっか」
よかった、とザックスがサラダを盛りながら呟く。クラウドも同意して頷いた。
あの泥棒騒動があったすぐのマリンは、小さな物音にもひどく怯えてクラウドの手を離そうとしなかった。笑顔もどこかぎこちなく、暗闇が怖いといい、明かりをつけたまま、クラウドとザックスの間でないと眠れなかった。今でもそれは変わらないが、笑顔が増え持ち前の明るさが戻ってきた気がする。
マリンが泊まりに来た最初の夜だ。一つしかないベッドを見たマリンの、「クラウドとザックスは一緒のベッドで寝てるの?」と尋ねる他意なんてまったくない純真な瞳に、クラウドは思わずその場から逃げ出したくなった。
咄嗟にザックスが
「そうだぜ、仲良しなんだ。俺とクラウド」
と割って入らなければ、クラウドはそのまま、脱兎のごとく逃げ出していただろう。
その言葉を素直に信じてくれたらしいマリンに、ザックスがマリンも一緒に寝るか?と言い、男二人で少し狭いベッドは本当に狭くなった。
今日も三人川の字で横になって、遊び疲れたのか真っ先に寝息を立てたのはマリンだった。子供特有の高い体温をだきながら、今が夏でなくてよかったとクラウドは笑う。
「でもよかった、マリンが落ち着いて」
「そうだな」
「最初はどうなるかと思った。表情も暗いし。でも元気になって…」
とマリンの寝顔を見ながら言うクラウドの表情も穏やかで、ザックスは手を伸ばしてクラウドの頬を撫でる。くすぐったいとクラウドが目を細めた。
「思えば」
「ん?」
「最近おまえに触ってないな」
昼間はお互い仕事に出ていて、夜はマリンと三人川の字。セブンスヘブンの定休日には、マリンはティファと一緒に過ごすが、その日に限ってクラウドに遠方の仕事が入ったり(普段入れられない分、意識的に入れているのだが)、とセックスはここ1ヶ月ご無沙汰だ。マリンを起こさない様に、と小さな声でかわされるやりとりが秘め事の様で、逆にクラウドの心を昂揚させた。
マリンを抱いて動けないクラウドに、ザックスが身体を起こして近付いた。ん、と啄む様なキスをする。
「これ以上したら」
我慢できなくなる、とザックスはクラウドの耳元で囁く。熱情の籠もる声に、クラウドの胸が跳ねた。
「ダメだ…」
「何が」
「あんたといると、マリンの教育に悪い…」
真っ赤になった顔を半分シーツに埋めて言うクラウドに、どういう意味だと、喉の奥でザックスは笑った。
「マリン、何かあったのか?」
とザックスが思わずクラウドに目配せした。
いつもと同じ様にクラウドに連れられ家にきたマリンだが、しかしいつもの元気はない。ついこの間まで、もうすぐお父ちゃんが帰ってくるの!と嬉しそうに言っていたマリンの表情が、また一転して暗くなっていた。
「…セブンスヘブンの二軒隣に空き巣が入ったらしい」
ちらっとクラウドがマリンに視線を走らせる。ザックスの眉が僅かに寄った。クラウドはもう一段階声を低くして続ける。
「怪我人とかはなかったらしいんだけどな。迎えに行った時も普通だったんだ。ただ、暗くなってきた辺りからかな、ちょっと口数減って」
せっかくバレットが戻ってこれそうだと思った矢先にと、クラウドは奥歯を噛んだ。
「大丈夫かな、マリン」
「………」
クラウドがザックスを見た時、彼はとても険しい表情をしていた。なんとなく不安になって、クラウドは小さな声でザックスの名前を呼ぶ。
「おまえがそんな顔すんな」
と抑えた声で言ってクラウドの頭を撫で、ザックスはマリンを呼んだ。皿運んでくれな、と近寄ってきたマリンと、それからクラウドに言うザックスは打って変わってとても優しい笑顔で、クラウドはほっとした。
しかし時間が経っても状況は好転しなかった。
いつものように3人でベッドに入ってもマリンは寝付けず、風で戸が揺れる度、クラウドの腕の中のマリンの身体がびく、と跳ねた。眉間に皺が寄り苦しそうな様相でうっすら汗を掻いていた。
不安を払拭出来るよう、クラウドは優しく頭を撫でたが、逆にその触れた部分からマリンの不安がクラウドに伝染してくる様だった。しん、として、最近は寝る前もうるさいくらいのマシンガントークだったのに(しかしクラウドの出番はほとんどない)、今日はマリンが何も喋らないせいか会話量はぐんと少なかった。
「…マリン」
アパートの裏のバラック小屋のプラスチック板が、風に吹かれて大きな音を立てる。その音にあわせて、マリンの震えがひどくなった。クラウドがマリンの名前を呼ぶ。マリンの小さな手が、クラウドのシャツを掴んで硬くなっていた。
「マリン、大丈夫」
マリンの背中側にいたザックスが、腕を伸ばして彼女の小さな半身を包んで、その手を上から優しく撫でる。
「そんな固まってたら身体、痛いだろ。力抜く手伝いしてやろうか」
ザックスの声はとてもやさしかった。と言っても、その優しさは普段のとも少し違って、かと言ってクラウドに夜睦言を囁くような声でも勿論、ない。
それでもどこか懐かしい、とクラウドは思った。こんなザックスの声はいつ聞いたんだろう。
「今がたんって鳴っただろ。あれな、隣のボロ屋の扉が風に飛ばされそうな音なんだ」
優しく優しく、マリンの手を撫でながらザックスがいう。
「俺が格安で直してやるっていうのにきかねぇんだ、あそこのオヤジケチだから。今のおっきい音は、…なんだろうな、向かいのおばちゃんが窓閉めた音かな。夜中なんだからもっと気ぃ使えっての」
マリンが、引きつりながらもふふっと身体を震わせる。ザックスの目も手付きも声もとても穏やかで、大事に大事に、一等大切な宝物を扱うような柔らかさだった。ザックスはいちいち物音の度に、あれはどこの家の扉だの犬小屋が飛ばされそうな音だの勝手に見当付けていく。たまに混じるあまりに無茶なこじつけに、マリンがくすくす笑った。
「なぁ、だからな、外は暗いけど、マリンが怖がる様な音なんて一個もしてねぇの。マリンの父ちゃんだって、夜なべして穴掘ってるだろ?」
うん、とマリンが頷く。な、ともう一度、ザックスの優しい声。
「それにな、大丈夫、ここ明るいから、怖いのなんてないし……俺たちが守ってやるから。」
はっとクラウドは息を飲んだ。同じ調子で、同じ優しさの言葉をクラウドは確かにザックスから聞いた。
――俺が守ってやるから。
見捨てたりするかよ。なぁ、――
ニブルヘイムからミッドガルへ向かうあの逃亡劇の途中、視界は常に靄掛かって、意識も朦朧として、指一本自分の意志で動かせなくて、それでも確かに聞いた覚えがある。
いつだっただろう。あの道中、自分がザックスとまともな会話をかわした事なんて、あっただろうか。
もしかしたら会話ではなかったのかも知れない。ザックスが一方的に自分に話していた言葉だったのかも知れない。けれど――
「クラウド強いの知ってるだろ?この前俺、クラウドの隠してたお菓子こっそり食べたらさぁ、クラウド怒って、俺、窓から放り投げられそうになったんだぜ」
あることないことザックスが並べ立てているが、そんな事はこの際どうでもよかった。
鼻の奥につんときた。目頭が熱くて、沸き上がってくる感情に咽せた。
愛しい。
「…クラウド?」
マリンの驚いた声で我に帰った。頬を伝う熱いものが涙で、マリンとザックスの顔がぶれて見えるのが自分が泣いているせいだと気付くのに少し時間がかかった。
マリンだけではない。ザックスの魔晄の目もじっとクラウドを見ていた。
「どうした、おまえ」
「クラウド、どっか痛いの?ねぇ、痛いの?」
なんでもないと涙を拭いながら、ザックスはおろかさっきまで震えていたはずのマリンにまで揃って詰問され、明るいから悪いんだ、とクラウドは舌打ちした。
翌々日にバレットが帰ってきた。
久しぶりの父親に安心したのかマリンは大泣きに泣き、バレットが気圧される位泣き喚いた。もう大丈夫だ父ちゃんが守ってやる、今日から一緒に寝ようなとバレットの豪快な二本の腕に担ぎ上げられ、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながらも嬉しそうなマリンを見て、やっぱりバレットが一番ね、とティファが言い、クラウドは微笑ましい父娘の再会にほんのり胸が温かくなった。
再会に沸いた後、こっそりマリンがクラウドに耳打ちしにきた。精一杯背伸びして「昨日クラウドが泣いちゃったのは、父ちゃんには内緒にしとくから!」と言われたので、どうせならティファにも言わないでくれ、と耳打ちし返すとマリンは大きく頷いた。
しばらくこっちに滞在出来るとバレットは言う。
今までの労を労われながら、先程のクラウドとマリンの秘密の遣り取りを見ていたバレットに、マリンに手を出したら承知しねぇぞと釘をさされた。大丈夫クラウドには俺が居るからと答えるザックスの頭をクラウドは容赦なく殴る。
「大丈夫だよ、クラウドとザックスは仲がいいもんね!」
とマリンの邪気のない言葉と、向けられた子細承知と言わんばかりのティファの生温かい目にもう一回泣きたくなった。
やんややんやと盛り上がった後、久しぶりに父親に会えて興奮したのか、いつもより早く眠たくなったマリンを置いてセブンスヘブンを出た。
さすがにまだ夜は少し風が冷たい。
セブンスヘブンの明かりも見えなくなった頃に、クラウドがザックスの手を取る。家の外でスキンシップをとりたがらないクラウドにしては珍しい行為に、ザックスは驚いたが、すぐに気を取り直して手を握り返してきた。
「おまえから手繋いでくるとか、珍しいな」
「いっつもこの道、マリンと手繋いで歩いてたからな。なんか手が寂しくなった」
ぶっきらぼうに言いながら、少し耳の辺り赤くなったクラウドの腰をザックスが強引に引き寄せる。
やめろとクラウドが制止するのにも構わず、首筋に耳にキスを落とす。
「ちょっ……俺は手が寂しいって…聞いてたか!?」
「…聞いてた。やばいくらい来た」
手を叩いて、何が来たんだと聞きたい所をクラウドは耐えた。返ってくる答えはだいたい想像がついたから。
真っ暗でわずかな街灯だけが照らす中、今日だけだぞ、と言いながらされるがままにしていると、ザックスがふと真面目な声音で言う。
「……なんであん時泣いたの」
「さぁ」
ふい、と目線を外し、言葉を濁す。恥ずかしくて説明できるか、と胸中舌打ちした。思い出し泣きだ。腰を揺さ振られ、同時に、なぁ、ともう一度焦れったそうなザックスの声。
「なぁ、クラウド。」
「しつこい……」
と辟易して腰に回された腕をつねると、いって、とザックスが思わず手を引っ込めた。
「なんだよケチ」
「自業自得だって」
懲りずに再び腰に回された手はもう黙認する。
「なぁクラウドー」
まだ言うか、ともう名前を呼ばれるのにも反応せずにいた。
ザックスが、あ、と立ち止まる。腰を抱かれていたから、それにつられて立ち止まり、なに?とザックスを見上げた。
「俺の事が好き過ぎて泣いたのか?」
「…あんたのその自信はどこから湧いてくるんだ」
だったらドラマみたいでいいじゃん、と言うザックスに、しかしあたらずと雖も遠からずで、クラウドは恥ずかし紛れに阿呆かと言い捨てた。
ザックスに触れられている個所に神経が集まって、しかしそこだけでなく身体の中がが熱いのは、久しぶりに意思を持ってザックスに触れたからだ。
畜生と呟き、夜風に晒されても消えない熱を抱えて、クラウドは溜息を吐いた。