神羅に入って最初にクラウドが前線に出たのは衛生分遣隊としてで、その勤務地はミッドガルから遠く離れたウータイの東部、山岳地帯に建てられた小基地だった。鬱蒼とした森と鉄条網の二重に囲まれたその基地は、ゲリラ戦で負傷した兵士の応急処置外科手当てをするために設けられた施設で、クラウドはそこで前線救護の任務についた。
数で圧倒する神羅に対しウータイはその頃ゲリラ戦を展開しており、地の利で劣る神羅はその地方の親神羅派を取り込んで対応したが、頼みの彼らは親神羅派と言うよりはむしろ反神羅のグループと対抗するいわば反・反神羅派であり、まったく信用に足るものではない、と言うことは、戦況に疎いクラウドでも知っていた。お偉いさんの付け焼き刃の作戦は懐中に新たな爆弾を抱え込んだだけだった。しかしそれでも戦火の中心が北東部に移っていた事もあり、鉄条網で囲まれた中に住む人々は、その基地が平和である事を知っていた。暖かな日差しの下寝転んでいると、クラウドはここが紛れもない戦場であり、自分が寝転がっているのが掩蔽壕の上だということを忘れる事ができた。
それでもたまに思い出したかの様に怪我人が運ばれてきて、クラウドは自分が戦場に身をおいている事を否応なしに見せ付けられる。基地を取り囲む森には戦火がおさまった後も無数の地雷やらブービー・トラップが残っていて、クラウド達のもとに運び込まれてくるのはそんなので足や腕ひどいときにはどこか身体の一部を持っていかれた連中であり、彼らはたいていその一撃だけでは不幸にも楽になる事はできず、その自分の身体に大きく空いた穴やら、失ってしまった部分に絶望する事になる。右手を吹き飛ばされた兵士の肘から下を切断し、剰えプラスチック片を取りのぞくのに腹の穴に手を入れてその傷をかき回さねばならず、初めてその場に立ち合ったクラウドは胃の中が空になるまでトイレに頭を突っ込んで吐いて、まったく使い物にならなかった。モルヒネを注射する手が震えて針が刺せず、上官に殴られた。食間で胃にはほとんど何もなかったのだが、吐くものがなくなっても、赤黒い血と切断面から覗く骨にこびりついた筋繊維からミッドガルのファーストフード店で食べたフライドチキンの一口噛り付いた状態の肉が浮かんで食道が痙攣して喉が焼け、胃液が出た。
情けないと笑われ殴られからかわれたがそれは誰しもが通る道であり、吐くのと殴られるのとを繰り返しているうちにいつしかクラウドも慣れた。慣れてしまえばそれは作業だった。自分が戦場に行って同じ目に遭うのではないのだから、それは我慢できた。それさえ我慢してしまえば、そこでの任務は、ミッドガルでの軍事訓練を思えば、ちょっと血生臭く砂っぽい休暇、と思えないでもなかった。
そんな空気のせいだろうか戦場の割に軍規が緩い。煙草を吸っても咎められないし、クラウドは加わらなかったが夜な夜なカードゲームやら酒盛りやらで煩かった。本来それを統率するはずの下士官がまともでなかったせいもあるだろうし、そこに配属された兵士がクラウド含め平均して16〜18の少年兵だったからかも知れない。
クラウドの上官は27か28くらいの、しかし年齢の倍くらい貫禄のある腹をした男で、いつも目は膜がかかった魚の様で、すぐに癇癪を起こして部下を殴った。自制心がなく目が死んでいるのは、配給されたモルヒネやら麻酔やら負傷兵が隠し持っていたドラッグやらを押領して常時きめているせいで、つまりは救いのない薬中だった。
そして不幸なことに、どうもクラウドはそんな厄介な人間を引き寄せるらしかった。最初は自分の反抗的な目付きとか態度とかが気にいらなくて殴られるんだろうと思っていた。懲罰房に呼ばれて二人きりで尻を撫でられるまでは。
ミッドガル勤務の時から、女より男に言い寄られる事が多かった。実力行使に出られた事もある。パンツがなくなった事だって。
着痩せする身体と女性さながらの綺麗な顔立ちとでよく誤解されがちだったが、クラウドはそこそこ腕が立つ。さすがに路地裏にひっぱりこまれて五人に囲まれた時は腹を括ったが、打撲と骨折だけでなんとか事無きを得た。
望まない暴力に屈しない位の力はあったし、それは何よりクラウドがここにいる事で証明されていた。後方支援とはいえ、クラウドと同期でその時ウータイに配属されていたのは、ソルジャー候補と言われるような優秀な兵士ばかりで、クラウドも自分がもう少し体格がよければ前線に配備された自信があった。
クラウドはソルジャーになりたかった。故郷を飛び出してミッドガルまでやってきたのは、ひとえに神羅の英雄に憧れてのこと。名刀正宗の一閃でドラゴンすら寄せ付けない強さに憧れる人間は多かった。クラウドも例外ではない。ソルジャーになるにはソルジャー試験に受かるか、タークスの推薦を取り付けるかで、どちらにしてもクラウドは強くなりたかった。間違ってもこんな後方基地で女に見立てられて尻を触られらために故郷を捨てたのでは、断じてない。ラリっている時の上官は臭い息と共に、ところ構わずクラウドに擦り寄ってくる。星のあかりも入ってこない部屋の中ベッドが並んで雑魚寝状態、カーテンをひいただけのクラウドの寝床に恥も外聞もなく忍び込んでくる事が多々あった。口臭と体臭、荒い鼻息を撒き散らして侵入してくる黒い影にクラウドはもう泣きたくなって、泣く前に素早くベッドから蹴りだした。クラウドにとって幸いだったのは、上官に薬でいっている間の記憶がないことだった。ぐにゃ、とクラウドの蹴りで気を失った肉の塊を引き摺って廊下に放り出した。ベッドに戻る時、それまで沈黙していたカーテンの向こうから、くすくす笑う声が漏れてきた。薄情な同僚達は寝たふりをして事の次第を伺っていたらしかったが、クラウドは腹も立たなかった。そんなもんだ、どうせ。何も期待しちゃいない。ミッドガルで路地裏にひっぱりこまれても誰も助けてくれなかったし、自分で身を守れないなら諦めるしかないことをクラウドは知っていた。
「災難だよな、おまえ」
笑い声は次第に大きくなり、とうとう声を掛けられた。隣で寝ていた一年先輩の兵士だった。お尻は無事か?と笑いながら言われ、舌打ちしたいのを我慢して自分のベッドのカーテンを引いた。
――おかげで気配に敏感になった。感謝する気なんてさらさらなかったが、助かった事は確かだった。あの変態上官に対して、早く視察がきてこの悪業がばれて強制帰還されればいいとクラウドは願っていたが、視察なんて来なかった。そんな後方部隊の風紀を正しにくるほど神羅の上層部も暇ではなかったらしい。それを悟ってクラウドは諦めた。

兵舎の裏の少し開けたところに、簡易ヘリポートがあった。森のど真ん中にある基地なので、負傷者はそこからヘリに乗せられ病院に運ばれる。物資の補給それから負傷し離脱した兵士の補給もそこから行われた。少し離れたところにもう一つ壕があり、そこはクラウド達の物より頑丈で物々しい警備がしかれていた。砂嚢と鉄網でかためた周りを銃を持った兵士が神経質にうろうろしていて、まるで戦場の様だった。
そこはソルジャーと特殊部隊専用の宿舎だった。クラウドが憧れて止まないエリート兵士達がそこに住んでいたが、彼らはめったに姿を現さなかった。動いていないのではない、活動時間が違うのだ。彼らは夜更けや真夜中の闇に紛れて出撃していき、闇に紛れて帰投していた。それはソルジャーの宿舎の周りにいた兵士が何人か腕や足をなくして帰ってきていた事からも明らかだったが、クラウド達衛生兵の元にソルジャーが運び込まれてくる事は滅多になかった。
一度だけ、どういうトラップに引っ掛かったのか、それとも火炎系魔法でも食らったか、体の右側半分を丸々持っていかれたソルジャーが運び込まれて来た事があって、ぽっかり抉られた下腹部からは焼けた腸が見えていた。二週間くらい前の話だ。両足と上半身の半分を半分失ってソルジャーの服は焦げて身体に焼き付き、明らかに致命傷であるのに、彼は生きていた。その頃にはだいぶこの仕事にも慣れていたクラウドだったのだが、びくびくと残った左側を痙攣させたソルジャーを見て目眩がして、久しぶりにその後吐いた。少なくともクラウドが見ている間、彼は死ななかった。すぐにヘリが呼ばれてから来るまでの数時間、そしてヘリに乗せられる時も彼は確かに生きていた。
ソルジャーは死ににくいと知識では知っていたが、それをまざまざと見せ付けられた瞬間だった。誰が信じられるだろう、身体の部位をほとんど失って尚、失神すらせずに指を震わせる人間など。
認識票を指で弄びその時の事を思い出してソルジャーの宿舎を見た。


――その一週間後に代わりのソルジャーが来た。
その日はクラウドの人生にとって最悪に分類される日といっていい。怪我人も運ばれてこない平和な日だった。同僚たちがバレーボールだか的あてだかわからない遊びに興じていて、付き合う気のないクラウドはその日に限って部屋で一人、ラジオの周波数を合わせ雑誌を読んでいた。ウータイの高温多湿な気候と日差しに、雪国生まれはクラウドには少々辟易していたので、進んで外に出る気がしない。ミッドガル外に駐屯する軍人向けのラジオ放送からは、ミッドガルのヒットチャートTop40が延々と流れていて、クラウドは指でリズムを取りながらベッドに腰掛け、雑誌を眺めていた。
だから気付くのが遅れた。
雑誌に影が落ち、誰か帰ってきたのかと顔を上げた先に、例の上官が仁王立ちにクラウドを見下ろしていた。いつもは薬で焦点の定まらない目をしているのが、その日はえらくはっきりしていたのが逆に不気味だった。ぎらぎらして油膜が張った目でクラウド・ストライフ、と呼ばれて、これほど自分の名前が不愉快に聞こえた日はない。
それまで薬の力を借りないとクラウドに指一本触れられなかったくせに、突然まともな顔をして臭い息を吐きながら迫ってきた肉の塊を、クラウドは両手で押し返した。気持ち悪いといつものように罵り蹴飛ばしてやりたかったが出来なかった。上官の目は確かに理知的とは言い難かったが、薬でラリっているのとは様子が違ったからだ。
ストライフ、と呼ばれて気持ち悪さに身の毛がよだった。
ストライフ一緒に死のう、と言われ脇腹に触れる冷たい感触に、何の冗談だと目の前が暗くなる。紛れもなく銃口だった。しかしここで失神すれば間違いなく殺されると、気を持ち直すのに目の前の男を睨み、目に入った顎の下の贅肉に、何が悲しくてこんな男と、とクラウドはぞっとした。ここに来て何度泣きたいと思ったか、しかもそれはほとんどすべて任務とは関係のないところでなのだから、不幸の星の下生まれた事を嘆くしかない。
ストライフと呻く、クラウドの数倍脂肪と腐臭を溜め込んだ肉塊に押し潰されそうになる。銃口を突き付けられた状態で、体重をかけて押さえ付けられればさすがのクラウドにも逃げるすべがない。クラウドの耳元に男がはぁはぁと息を吹き掛け、ぞっと怖気が背中を駆け上がった。
もうやめてくれ、と泣いて許してもらえるなら土下座でもすると脇腹の銃口が肉にめり込むのを感じながら思う。母さんごめん、間違っても俺はこんな奴に掘られてないから、母さんなら信じてくれるよな、と遠い空の母に思いを馳せて十字を切った。銃口がクラウドの脇腹にめり込む。
そこで割って入ったのがザックスでなければ、クラウドはその脂ぎった男とベッドで心中という羽目になっていた事は容易に想像がつく。男の指は既に引き金に掛かっていて、些細な物音にでも怯えて「つい」それを引いてしまいそうな位戦慄いていた。
ザックス(その時クラウドは彼の名前を知らなかったのだが)は男の腕を銃ごとひねりあげた。関節を極められた男はあっさり銃を床に落とした。
それは一瞬の出来事だった。軍事訓練でどの教官がやってみせたよりも滑らかで無駄のない動きだった。引き金に掛けていた指を引く事すら叶わなかった男は耳障りな悲鳴をあげパニックに陥ったが、自分を拘束する男を見て失神した。
肉の塊がなくなって自由になった身体を起こす。銃口を押しつけられていた所を指でなぞると、その形に肉が窪んでいた。
「無事か?」と声をかけた男がソルジャーである事はすぐに知れた。薄暗い部屋の中でもソルジャー特有の魔晄の色をした瞳は爛々と輝いていたから。すまない、こちらの手落ちで、と落ち着いて低いよく通る声で言う。謝罪をしていても声に卑屈さはなく力があった。命令しなれてる奴の声だよな、と思い、当然だ、こいつはソルジャーだ、とクラウドは睫毛を摺り合わせた。無線機でどこかに連絡し、やってきた神羅兵が気を失った男を引き摺っていく一連の流れを、クラウドはブラウン管越しに繰り広げられるドラマみたいにぼーっと見ていた。しばらくして誰もいなくなって、部屋にはクラウドとそのソルジャーだけになった。
「少年兵に対する性的虐待容疑で軍事裁判に掛けられる…被害者から告訴があった。拘束しようとしたら逃げられた。完全にこちらのミスだ、すまん。怪我は?」
ありません、と答えようとして歯の根が噛み合わずに言葉が出なかった。代わりに小さく頭を振ると、そのソルジャーは眩しそうに目を細めた。

彼はあの負傷したソルジャーの後任で、名前を聞いたのは諸々の手続きが全部すんだ後だった。クラウドは自分で思っていたよりずっと混乱していたらしく、自分の所属すら満足に言えなかった。ミッドガルにいた時の所属を答えていたらしく、クラウドは覚えていなかったのだが、後でザックスにからかわれた。
ザックスはいい奴だった。その夜落ち着いた頃にクラウドの様子を見に来たソルジャーは、昼間とは打って変わって柔和な空気を纏っていた。
もう落ち着いたか?と笑いクラウドの頭を撫でるザックスは文句のつけどころがないくらい格好よかった。
それにその時やっと気付いて、自分がどれだけ混乱していたのか、からかわれるまでもなく自覚した。だって初めて彼を見た時は何も思わなかったから。
浅黒い肌も、しなやかで無駄な肉を全部削ぎ落とした筋肉も、精悍な顔の造作も、頬にうっすらと残る傷の跡すら、まるで計算づくで付けられたんじゃないかというくらいザックスには余計なものも足りないものもなかった。首から下げた認識票の銀色の光が、あんなに扇情的に映ったのは初めてだった。
「クラウド」
とベッドの縁に腰掛けて、ザックスはクラウドに囁く。至近距離でその魔晄の瞳に見つめられて、舌の付け根が甘く痺れた。