そんな愛だか恋だかも、クラウドのミッドガル帰還命令であっさり終止符が打たれた。
辞令が下った日、ザックスはウータイの森の中にいて、クラウドは挨拶さえ出来なかった。どうせ自分がミッドガルに帰った事は、言わなくてもすぐ分かるだろうと、置き手紙もしなかった。
ミッドガルの寮に戻って何週間か経ったくらいにザックスから短い手紙が立て続けに二回届いて、後に来た手紙にはウータイの更に奥地に行くと書いてあった。
クラウドは返事をしなかった。多分手紙を出してもザックスの手には届かないだろうとクラウドは思ったし、返すべき文面も思い浮かばなかった。会いたい、とか好きだ、とか書くべきなのだろうな、と思ってペンを取って、しかし本当にそんな事を思っているのだろうかと疑念が湧いた。
好きだとか愛してるとか言葉は交わしたし、あの基地にいるときはクラウドも確かにザックスが好きだと思っていた。でもあの場所を離れて、ミッドガルという整備されて砂ぼこりやブーツに入り込んでくるぬかるみとは無縁の街に帰ってきた時に、ウータイでの体験が全部熱病に浮かされてみた夢みたいに思えてしまった。
自分はザックスが好きだったわけではなくて、あのウータイの空気――ミッドガルの乾いた風とは似ても似付かない髪にまとわりつく湿気とか泥とか血、鉄の臭いに逆上せていただけかもしれない――と考えたら途端に何を書いていいか分からなくなって、書き掛けた手紙を机の端に追いやって、忘れた。
クラウドに取って幸福だったのは、それ以来ザックスから手紙が来なかった事だ。クラウドはザックスの事を極力思い出さないようにした。それがクラウドがザックスに対する罪悪感とか後ろめたさに苛まれないための唯一の方法だった。
その記憶を強制的に掘り起こされる事になって、クラウドの逃避は終わった。
訓練の休憩中に、自分に近づいて来た男の顔が、どこかで見たことあるなぁと思っていたら、案の定神羅のお偉いさんで、彼はソルジャー統括だと名乗った。入社式か何か、とにかく式典の時に壇上で演説していた男と目の前の男の顔が重なった。名前を確認されたので、肯定してクラウドは立ち上がり、名前と所属を述べる。
「ザックスというソルジャーを知っているな?」
はい、とクラウドは敬礼したまま答えた。ザックスの名前を聞くのも思い出すのも、随分久しぶりだった。
「関係は?」
クラウドは少し口籠もり、友人です、と当たり障りのない返答をした。以前ウータイのチャボン基地にいた時に、よくしていただきました。
「会いたいか?」
クラウドは頷くしかなかった。正直いまさらどんな顔をして会えばいいかわからなかったが、ラザードと名乗ったソルジャー統括の口調は、一応疑問形の体裁を取ってはいたが有無を言わせぬ物言いで、クラウドの意見なんか最初から聞く気がないようだったからだ。
それでも一応クラウドが了承するのを待ってから、ならばついてこいと言った。
――彼が会いたがっている。
そういって連れてこられたのは神羅ビル68階の研究室で、神羅の重役以外は入室すらできない場所だった。もちろんクラウドに取っても初めての場所で、ラザードがカードキーを取り出すのをどきどきしながら見ていた。
「一ついい忘れていた」
ラザードは取り出したカードキーをすぐには通さず、クラウドを振り返った。
「この部屋で見た事は決して他言してはならない。本来なら誓約書を提出しなければならないのだが、手続きが煩雑なので省略したい。構わないか?嫌なら止めてもいい」
クラウドはちょっとびっくりして、ソルジャー統括の顔を見た。そんな適当な事でいいのかな、と思ったが、責任を取るべき立場にいる彼がそれで構わないならクラウドも異存はなかった。
構いません、ザックスがここにいるんですよね?とクラウドが尋ね、ラザードが頷いた。
「……ザックスは」
カードキーを通しながら、ラザードはザックスが戦場で攻撃を受け負傷した事を告げた。それはクラウドが前にいた基地でも、ザックスの手紙にあった地名でもなかった。
そのフロアは狭い廊下がずっと続いていて、左右には重たそうなドアが並んでいた。圧迫感があって、今にも両側の壁が迫ってきそうな、不気味な雰囲気だった。廊下は無人で、クラウドとラザードの靴音だけが響いていた。
その廊下を少しいった所で急に明るくなって、今度は病院の様に白い壁の部屋が並んでいた。
大きい窓にブラインドが下りていて、隙間から白い壁と白いベッドが見えた。
ザックスはここかな、と思った。怪我の具合はわからなかったが、わざわざソルジャー統括がクラウドを訪ねてくるくらいなのだ。きっと捻挫とか打撲とか、そんなものでないのは分かっていた。
「チャボン基地にいたのなら知っているだろうが」
空きベッドがたくさん並ぶ病室を通り過ぎながら、ラザードが言う。
「ソルジャーは滅多な事では死なない。それこそ、そうだな、身体をぺちゃんこに潰されるとか、心臓を抉りだされるとかしない限りは…全身を焼かれたとしても灰になるまでは死なない」
はぁ、とクラウドは曖昧に答えた。もうだいぶ前のことで記憶もだいぶ薄れていたが、ボロ布の様になってヘリに積み込まれたソルジャーを思い出す。
ひどいんですか、ザックスの怪我は、とクラウドが尋ねた。
「……生きてはいる」
クラウドは覚悟を決めた。ソルジャー統括がこんな話をして、そんな言い方をするのだから、ザックスはきっと、と予想がついた。
それでもクラウドはあまり動揺しなかった。ザックスがソルジャーである以上、そして激戦地へ行っている以上、そんな危険は常に予想できた事だった。あの基地の周りだって、クラウドが平和だと錯覚していただけで一歩鉄条網を出ればぎっしり地雷が埋められていて、いつザックスがそれを踏んでもおかしくなかった。遅いか早いかだけの問題だ。
それより何よりも、クラウドがザックスと一緒にいたのはもう何年も前の話だった。ショックを受けるべき時期は、きっともう逸してしまっている。
だから大丈夫だ、とクラウドは自分に言い聞かせた。
ここだ、とラザードが立ち止まる。いいな?と確認され、さすがにクラウドの胸がなったが、平静を装って頷いた。
クラウドが見たのは、チューブに繋がれたザックスの半身だった。ひ、と悲鳴を挙げそうになって押し止めた。
辛うじて肩から上は全部のこっていたが、左側頭部の包帯の下は明らかにいびつに陥没していた。包帯に覆われていない右側は、クラウドの記憶のままのザックスだったが、左側はやけどで皮膚が引き攣れていた。身体の、特に下半身は丸々持っていかれていて、代わりにチューブで強制的に体液を循環させていた。ベッドの枕元にかけられた認識票を覆うプラスチックが熱で溶けていて、鉄も焦げて黒くなっていた。
枕元の小さな籠にはやはり熱で変形した色々なもの、ピアスであったり時計であったりが入れられていて、その中には熱で縮まったコンドームもあった。
「ザックス――」
クラウドが呼んでも、あの魔晄の目の色は見えなかった。気が済んだら出てきてくれ、とラザードは言い残して廊下に出た。気を使ってくれたつもりなのだろうかとクラウドは思ったが、二人きりにされてもどうすれば良いのかと途方に暮れた。ザックスが会いたがっていると言ったが、この状態でどうやって意思を伝えたのか。もしやと思いもう一度呼び掛けてみたが、ぴくりとも反応しなかった。
綺麗に拭かれたザックスの顔を見ていたら、ソルジャーなんて碌なもんじゃなくて、と言ったザックスの顔だとか、あの時見た名前も知らないソルジャーの姿とか基地で嗅いだ血の臭いやザックスの手とかがクラウドの頭の中をグルグル回った。
ザックスは白い綺麗なシーツと床擦れ防止マットに埋もれていた。恐る恐る、ザックスの身体から伸びるチューブに触れないように胸に耳を寄せると、確かに心音がした。懐かしいザックスの匂いがして、胸に熱いものか込み上げてきて、クラウドは泣きたくなった。
どうして、と口の中で呟いた。どうして夢だった、なんて思ってしまったのだろう。
今更後悔しても遅いこと、とわかってはいた。遅かれ早かれ、彼がこうなってしまうのは避けられない事だったとしても。
ドアをあけると、入り口の壁にもたれていたラザードが、もういいのか?と言った。赤く充血した目を見られないように俯き加減で首を振る。
いいのか?もう恐らく会えないぞ、と念を押す。構いません、とクラウドは声を押さえて言った。ラザードが首を振って歩きだす。その背中を見て、クラウドは最後部屋の中を振り返った。
そこにはウータイ特有の湿った風も血の臭いも砂で汚れたシーツもなかった。消毒液の臭いで満たされた部屋で、ザックスは真っ白い静かに目を閉じていて、ドアの所から見える右半身だけ見ているとただ眠っているみたいだった。
好きだよ、とクラウドはザックスに言った。憐憫の情から出たのではないと、今ならばはっきり言える。ずっと好きだったよ、とクラウドがドアをスライドしながら呟き、それはラザードの耳にも入ったかもしれないが、彼とて振り返るほど野暮ではなかった。