夢かな、とザックスが思ったのも無理はない。
真夜中にふと目が覚めた。隣にはここ何ヶ月顔を見ていなかった愛しい愛しい恋人がいた。
あれ、とザックスは思った。身体が起きていれば首の一つも傾げただろう。恋人とその恋人越しに見える部屋の壁に、身体の底でじんわり違和感が沸いて、意識に登ってくることなく沈んでいく。
四肢に力が入らず、指先は甘く痺れている。
暗闇でも碧く輝く双眸がザックスを見ていた。
「クラウド」と口から漏れた言葉は、コミュニケーションツールでもなんでもなく、ただザックスの脳が恋人を認識して吐き出した結果だった。
その証拠に、名前を呼ばれても恋人は身動ぎ一つしない。きっと彼には聞こえていない。
大きな窓から月明かりがさしこんで、クラウドの白い肌をぼんやり照らしている。
不思議な光景だった。
輪郭は模糊としてまるで薄い薄い夜色のカーテンに覆われているようで、自分の意識はそのカーテンのこちらがわにある。
クラウドを好きなことにかけては自信があったし、数ヶ月顔をみないでもその仕草であったり顔の造作であったりを思い浮べることは容易であったが、さすがに幻覚じみたものは見たことはない。
末期かなぁと思った。
隣に眠るクラウドは確かな質感を持っていて、深層に潜り込んだまま出てこない理性の代わりに幅を利かせた本能が、これなら(突っ込んでも)気持ちいいんじゃね、と考える。
なんだよたってんぞ、とクラウドが初めて動いた。笑ったと理解する前に愛しさがこみあげる。
クラウド、クラウドと必死で名前を呼ぶ。動かない舌がもどかしい。なんでこんなに唾液が重いんだろう。
ザックス、と名前を呼ばれる。ザックスただいま、と優しい声がザックスの耳を擽る。頬に触れる柔らかい熱に全てが融けた。
きもちいい、とクラウドが好きだという言葉が同時に出てきて、出口を争った。結局どっちが出ただろう、混ざったのかも知れない。
ザックス、ねむい?と言われて、眠くないと答える自分の声が遠くに聞こえる。クラウドが喉を震わせて、ザックス好きだよ、と囁く。
あ、それすごいいい、と思いながら、ザックスの意識は沈んだ。


……やっぱ、夢かな。
ザックスは窓からさし込む太陽の光に目を細めながら、自分の腹の上で起きて起きてと急かすマリンの頭を撫でた。なんかおかしい、なんでマリンがいるんだっけ、と疑問を感じる。
隣を見てもクラウドはいないが、よれたシーツに残る気配に、確かに誰かがさっきまでそこにいただろうことは解った。
ややあって、ああ、帰ってきてたんか、と太陽光で覚醒を始めた頭が状況を把握した。
2ヶ月前から、仕事だと家をあけていた。そういや昨日帰るって留守電あったなぁと、段々順序立てて記憶が蘇る。
「クラウド帰ってくるならみんなでご飯食べるの、ザックスも泊まっていけばいいのよ!」とクラウドの帰りを心待ちにしていたマリンにごねられた。だからここは自宅ではなく、セブンスヘブンの二階にあるかつてクラウドが寝泊りしていた寝室なのだと、それでいて自分の上にはマリンがいて、やたら自分を起こすのだと、ようやっと理解して、身体に溜まっていた気持ち悪さはなんとか解消された。
既に空気は太陽に温められて日中の陽気、枕元に視線をやればマリンが起こしにくるのも無理はない、もう昼前だと時計が告げる。
「……クラウドは?」
マリンを落とさないように伸びをする。ようやく起きる気配を見せたザックスにマリンが笑った。
「朝一番でリーブおじちゃんのところいったわよ。お仕事のほうこくって」
「せわしねぇな、あいつも」
「でも昼前には帰ってくるって。だからティファがザックス起こしてあげなさいって」
そうかありがとうなと、もう一度マリンの頭を撫で上半身を起こす。もう起きた?とマリンが首を傾げるのに、起きたよと笑うと満足気にザックスから降りた。
みつあみを揺らして走り去っていくマリンの足音に、ザックス起きたよとティファに報告しているのだろう嬉しそうな声が重なる。可愛いなぁとザックスは笑う。
さてと、ともう一度大きく伸びをした。起きる意識はあるのだが身体は鈍く、伸びだけして起き上がる前に行動が止まった。
自分の寝起きはお世辞にもよくないから、きっとマリンは起こすのにてこずったのだろう。陽の光にすっかり目が覚めたとは言え、眠気が完全に振り払われたわけではない。うっすら身体に張りつく倦怠感で、まだまだ横になればすぐに眠そうだった。しかしそれではミッションを達成したと思ってボスに報告したマリンが可哀相か。
あと5分したら起きるか、と怠惰な意思決定を下したところで、聞き覚えのあるバイクのエンジン音が耳に入った。マリンが嬉しそうにはしゃぐのと、それに応えるクラウドの声が風に乗って流れてくる。何と言っているかまでは聞き取れないが、柔らかい口調で話す最愛の恋人の声が愛しくて、ザックスは目をとじた。
そういえば、とザックスは昨夜のことを思い出そうと記憶を手繰る。
寝呆けた頭に残った映像はぼんやり霞み掛かっていて、掴もうと手を延ばすほど離れて解けていく。
クラウドがあんな風に好きだと言うのは、一年に一回聞けるかどうかのボーナスだ。確かにセックスの最中、繋がった身体でうわごとの様にザックスを好きだというクラウドも堪らないけれども、それとこれとは話が違う。
あれだけ優しく囁かれて、触ろうともしなかった自分はよほど寝呆けていたらしい。千載一遇のチャンスを逃したとザックスは臍を噛む。
あれは完全に夜の魔法だ。夜の空気の為せる業だ。
壁も窓も、そこに何の気なしに置かれた椅子も、昨夜とはまるで別物の様に見える。
この清々しい朝の(もう昼前だが)空気で、クラウドがまかり間違ってもあんなに惚気るはずがない。
据え膳喰わぬはなんとやら、ちっとザックスは舌打ちする。
ティファとマリンを前にして、昨日可愛かったな、などと言っては男が廃る。夜の睦言をひけらかすような無粋な真似はしたくない。
となれば決戦は今夜――と碌でもない事を考えていたら、なかなか起きてこないザックスに業を煮やしたのか、ぱたぱたという足音と共に扉が開き、ひょこ、と揺れる栗色の髪が覗いた。
「ザックス!」
未だベッドの上でぼーっとしているザックスを見咎めてもう、早く起きてよぅとマリンが唇をとがらせる。
「もう、なにしてたのよ」
ザックスは不埒な企みをしていたことなどおくびにも出さず、さぁ、と笑って誤魔化した。
「クラウド帰ってきたんだよ、だからティファがみんなでご飯食べようって!」
マリンが服を引っ張ってせかすのを宥め、ん、とザックスはさっきから何度目かの伸びをした。
きっとクラウドはいつもの様子で、おまえなんかに興味はないといった態度を取るのだろう。久しぶりだと粉を掛けてみたところで、すげなくあしらわれるに決まっている。
……それすら愛しく思えて、ザックスはにやりと笑った。