あんたとずっと一緒にいれたらいいなとクラウドが最初に口にしたとき、その言葉に決して深い――言われた当のザックスが絶句して持っていたスコーンを思わず取り落としてしまうような――意味は、クラウドにはなかった。
ニブルヘイムからミッドガルに出てきて右も左もわからなかったクラウドにザックスが声を掛けたのは本当に些細な、曰くチョコボの羽に似て元気に跳ねる髪と冴えるアイスブルーの瞳が雑踏の中で目に付いたから、つまり俗に言うただのナンパだったのだが、二人は思いの外気があった。
氷肌玉骨の、自分とはまるで違う生き物、見てくれから年齢、肩書き、趣味、嗜好、価値観、人生観、自分という人間を構成する要素においてこれ以上ないくらい共通点なんてなかったのに、それでもザックスはクラウドに惚れた。それなりに場数を踏み修羅場も越えてきた、恋愛というフィールドに限らず人生経験値の高いザックスはともかく、クラウドは十何年生きてきてそもそも人付き合いというスキルすら未だ会得していなかった。
閉鎖的な山岳地帯の寒村で母子家庭と言うだけで腫れ物扱いされ、クラウドは人間関係を築く社会的訓練すら出来ないまま思春期を迎えてしまった。他人との距離の取り方がわからない――そこに現れたザックスは、友情という清い皮の下にどろどろの下心を隠していたのだが、もちろんクラウドは気付かない。
トモダチ、と言うには過剰にすぎるスキンシップを鬱陶しいと思いながらもおかしいとは思わず、他人に嫌われようが罵られようが、いいか俺にはザックスがいるし、という思考は、冷静に観察すればとっくに友情のボーダーラインを踏み越えているのだが、それにも勿論クラウドは気付かない。これが友情、俺たちはトモダチ、もはや恋すら通り越して依存と言っていい関係にも、クラウドはそれを友情だと信じて疑わなかった。
件の台詞も、特に深い意味はない。ただ何の疑いもなく――自分のその一緒にいたいという感情が、どういう理由で湧いてくるのか深く考えもせず――自分達はずっと一緒にいるものなんだと思い込んでいた。
だから、俺も一緒にいたいよと感極まって抱き締めてくるザックスにも、彼の落としたスコーンの方に気がいっていて、もったいないなとかなんだ暑苦しいやつだなくらいにしか思っていなかった。

だからその数日後くらいに、いつもの様にザックスの部屋で買い込んだビールとスナック菓子を摘みながらキスしてもいいか、と不意に真面目な顔で聞いてきたザックスを見て初めて、クラウドは彼が自分に向けている感情が友情でなかった事に気が付いた。
こいつまた酔っ払ってんじゃねーか、と思い、ちらりとテーブルの上に転がるビールの空き缶に目を走らせたが、不幸にもそれは彼が素面であることの証拠にしかならなかった。せめて正体を失ってべろんべろんに酔い潰れててくれればよかったのに。
驚愕の真実に愕然として固まってしまったクラウドに、ザックスは頬杖を付いて返事を待っていたが、いい加減痺れをきらしたのかそれともただ呆れただけか、ふっと表情を弛ませる。
「キスくらいさぁ、いいじゃん」
「……くらい、って言うもんなのか?」
「出来ないの?あ、クラウドちゃんはキスは初めてか」
「……うるさい。馬鹿にすんな」
――と言ってしまったのだからクラウドの完敗。そっか、ならいいよなとザックスが唇を歪めて笑い、何がいいのかとクラウドがその反応に困惑している間に、哀れクラウドのファーストキスはこの不遜なソルジャーに奪われた。
キスをした瞬間よりも、唇が離れる時に鼻を掠めたザックスの汗の匂いに思わずどきっとしたなんて、まさか口にする勇気なんてクラウドにはなかった。触れるだけのキスに、クラウドは心臓をばくばくいわせながら、な、たいしたことなかっただろ、と本当に何でもないように笑うザックスに、訳もわからずとにかくこくこくと首を振って肯定した。

その事があってから、ザックスのスキンシップは程度を増した。何かあれば抱きつきクラウド好きだと囁きながらキスをして、隣に座れば腰に腕を回し、指を絡め頬を撫で―――なし崩しに「そうゆう関係」、になるのにそう時間はかからなかった。
恐るべきはザックスの手腕、クラウド如き手玉に取るなんざ朝飯前と言ったところか。
なぁクラウドってドーテー?セックスしたことある?と言うお決まりの猥談よろしく始まり、勿論正真正銘チェリーボーイのクラウドは話の間に挟まれるザックスの甘いキスに完全に翻弄され、最後には俺うまいよやってみない?と言う言葉に何故か頷いてしまっていた。
なんかへん、と思った時には組み敷かれ捲り上げられたシャツの下をザックスに撫で回され嬌声をあげていた。
痛かったし熱かったし疲れたけれどザックスの言うように確かに気持ち良くて、翌日は思わず寝坊してしまうくらいに大変だったはずなのだが、意外にもクラウドの中でザックスとの初セックスは全く感慨深い思い出にはならなかった。
誘ってきたザックスのノリからして、ちょっと抜いてみない?という軽いものだったから当然だったのかも知れない。後ろの処女がなくなったところで、男のクラウドが特になにか感傷に浸ることもなく、かと言って決して嫌だったわけでもない。
――ザックスだしまぁいいか、友達だし。
友達がそもそも指を絡めたりキスをしたり抱き締めたり舐めたり吸ったり突っ込んだりはしないのだが、クラウドはそのおかしさに気付かない。
自分を絶対的に庇護してくれる母か徹底的に距離を取る村人しか幼少期の彼の周りにはいなかったから、他人と置くべき適度な距離を知らないままクラウドは大きくなって、ザックスがとっくに友達の枠を大きく越えていたのに気付いていなかったし、気付いてもまったく違和感を感じなかった。クラウドの中の人間関係は母親とそれ以外で二極化されていて、それにザックスが加わっただけの話だったから。

ミッドガルに上京してきたばかりで友人知人縁者頼れる人脈も手持ちもなかったクラウドは、神羅から与えられた寮に入居していたのだが、例に漏れない安普請、壁は薄いは汚いわベッドのマットレスはしけっているわ、あまつさえゴキブリは出るわで――ミッドガルに出てきて初めてあの黒光りする天敵を見たクラウドは、あまりの気持ち悪さにトラウマを抱えることになった。
一匹おったら三十匹隠れとる言うからなー気ぃ付けなとのルームメイトの有り難くない助言に頭を抱え、バル○ンを焚こうにも同室にいる人間との兼ね合いで叶わず、早く寮を出たいと漏らしたのをザックスが聞いた。
気遣いなのかなんなのか、ザックスはクラウドがいるときは換気扇の下で煙草を吸う。それを見ながら、室内禁煙で喫煙者なんかいないのに既にヤニで変色している寮の壁を思い出し、家主がヘビースモーカーにも関わらず未だ綺麗な壁紙を前に悪環境を嘆いた。換気扇のそばに立っていたザックスには聞こえなさそうなものなのに、耳敏くクラウドの声に反応する。いじめられてんの?と尋ねられ、そんなんじゃなくて
、とクラウドは部屋に出没するかの虫の対処法について愚痴を漏らす。
「何クラウド、おまえ駄目なの、ゴキちゃん」
「俺の故郷には出なかったんだよ。つぶしてもつぶしても出てくるしさ……てかゴキちゃんて」
「モノのずばり言うよりかは、オブラートに包んでみました」
くくっと笑いながら灰皿に灰を落とす。
「いらねぇよ、そんな気遣い」
「まぁ言うな。じゃぁ俺と一緒に住まない?どーせ毎日通ってるんだしさ」
にや、とザックスが嫌な顔で笑う。毎日、と言うと語弊があるが、強ち間違いとも言いきれない――部屋に帰れば他人がいるし、奴も出る。今日泊まってけよ、と言うザックスの甘い誘いについ首を縦に振ってしまい、まるでセックスを覚えたてのガキみたいに(ザックスはともかく、まさにクラウドはセックスを覚えたてのガキなのだが)ザックスと体を重ねる日々。通い夫だなとザックスは笑うがその通りだから否定はできない。だっておまえといると楽しいし、と言うとザックスは煙草をおいて嬉しそうに笑って、じゃぁ俺禁煙しちゃおっかなーとクラウドの頭を撫でた。

トントン拍子に話は進み、翌週には同棲と相成ることになった。気掛かりと言えばたまにあるザックスの長期遠征と寮とは比べものにならない家賃だが、良いって別に、食費だけは折半な、とザックスは笑った。
手続きを終えて寮の部屋に帰り、まとめた荷物、と言っても嵩張るものは本くらいしかない。段ボール一箱に納まってしまったクラウドの全財産を見て、おまえ荷物少ないなーと言う同室の少年が覗き込んでくる。
「おまえ、ええよなぁ。こんなきっちゃない寮出れてさぁ」
ただでさえ汚い部屋を更に汚くしている要因の一つに彼自身の整理能力の欠如も挙げられるのだが、クラウドは面倒だから黙っていた。この西ウータイ出身の少年は、ザックス程ではないにしろ結構なマシンガントークを特有のイントネーション付きで捲くし立てるから、クラウドは相手をするのが非常に疲れる。
そんなクラウドの胸中知らず、ええよなぁと連呼する同僚にクラウドは段ボールの蓋を接着する手を止めて顔をあげた。
「嫌ならでたらいいじゃん、ここ」
「アホか、んなうまい事いくかよ。金も身寄りもないねんぞ。ええよなぁええよなぁ、ザックスさんやろ?ええ人捕まえたよな、あの人人望もあるし有望株やて」
「……そうか?」
「ええやん、優しいんやろ?あの彼氏」
「………かれ、し?」
思いもよらぬ単語にクラウドはガムテープの端を持って固まった。オウム返しに聞き返すと、そう彼氏、とさらにもう一回こちらに返ってきた。
「ちゃうん?」
「…………………………」
そう改めて聞かれると、クラウドは首を捻るしかない。
確かにそうかも知れない、深く考えたことは一度もなく、なし崩しとはいえ手を繋ぎキスをしてセックスまでする仲は、紛う事なく恋人、といえるものかも知れないけれど。
しかし今まで一度だって意識した事がない。好きだと言われても付き合おうなんて言われた事はないし、ザックスはどうか知らないが少なくともクラウドは友情の延長線上のつもりでいた。
(……けど確かに)
これまでのザックスの、と言うよりお互いの所業を顧みる。
(友達でセックスはしない…かもしれない)
じゃぁなんだと聞かれても非常に困る。愛がないのかと聞かれればそもそも愛とは何かとなるし、だからといって遊びの、お互い割り切った体の関係と言うのでもない。かといって純粋な友情かと言うと、もうそんな言葉の枠にはおさまらないような。
(……彼氏?)
ザックスがクラウドに対する関係で世にいうそんな人間にあたるのならば、クラウドはなんなのか。彼氏に対応するのは彼女だが、自分は女じゃないから違う、と思う。
となると、
(やっぱり彼氏じゃないよなぁ…)
クラウドが一人納得してよし、とかなんとか呟く横で、突然黙りこくったクラウドに何か気に触る事を言ってしまっただろうかと気を揉んでいた少年は、どうやらそうではないらしいと悟って胸を撫で下ろす。
「自分荷物どうやって運ぶん、手伝おか?」
「あ、いや、ザックスが手伝ってくれるらしいから」
と言った所でこんこん、とノックがした。ジャストタイミング、と言うか、荷物はもうまとめてあるから、と言ったくせに中々出てこないクラウドを迎えにきたらしい。
よっと気さくに声をかけるザックスは腐ってもソルジャー、一般兵の憧れ、エリートだ。クラウドとよく一緒にいるせいで顔馴染みにはなっていたが、件の西ウータイ出身の少年はこんにちは、とクラウドと喋っている時より緊張気味に少し高く上ずった声で言った。
「おまえ…段ボール一個作んのに何時間かかってんだ」
「何時間もかかってないよ」
「いや、それは物のたとえであって…なぁ?」
話を振られ、サイ(例の少年)は釣られて苦笑する。
「今ゆうてたんですよ」
「ん?」
「クラウドはいい彼氏おってええなぁって」
そうかーと和やかに笑うザックスと、余ったガムテープをどこに置いていこうかと思案していたクラウドの目があった。ん?と首を傾げると、クラウドはぽつりと呟く。
「彼氏じゃなくて友達だよな?」
部屋の空気が凍った。照れ隠しではなく明らかに素で否定したクラウドに、え、とサイは固まる。対照的にザックスは別段表情を変えず、ごめんお待たせ、と言ったクラウドの言葉にあわせて立ち上がる。
「じゃぁ俺、これ運んどくから」
え、と言うクラウドの言葉を遮って段ボールを抱え持ち、ちゃんと挨拶してこいよ、と言い残して部屋を出た。
「クラウド…」
残されたクラウドは、止める間もなく去っていったザックスの背中をぼーと見ていた。サイが、クラウドに恐る恐る尋ねる。
「なんで?」
と言われても何がどう何なのかわからず、クラウドは首を竦めるしかなかった。

ザックスの(そして今日からクラウドの家にもなる)マンションに戻ると、引っ越し祝い、と大きなバケツの中に氷水と一緒に大量の缶ビールが突っ込まれてあった。一本拝借しようと手を出すと、まだ飲むなよ冷えてねぇぞと釘をさされて引っ込めた。
「何見てるの」
「通販カタログ。ベッドでかいのに買い替えようと思って」
ふーん、と言いながらソファの隣に陣取りザックスの手元を覗き込む。
「クラウドどんなんがいい?」
「どんなって…俺も寝るの?」
「一緒に寝るから買い替えるんだろ」
そういえば今一緒に寝ているベッドはお世辞にも広いとは言い難く、落ちることはないが多少窮屈だ。それでもあの、寮の黴臭いシーツよりはよほど快適だったが。ふとさっきのやり取りが頭に浮かぶ。
「……ザックスってさ」
「んー?」
「俺の彼氏なの?」
ぴく、とザックスの片眉が寄る。
「……違うのか?」
「だって俺は女じゃないから、ザックスの彼女じゃないだろ?付き合おうとか言われた事もないし」
ザックスはじーっと無表情でクラウドを見ている。途端に異様な光を放つ魔晄の瞳に一瞬怯んで、う、と腰が引けた所をザックスに抱き込まれた。胸に顔を押しつけられて、条件反射でそのまま体に腕を回した。
「さっきのアレ、照れ隠しで言ったのかと思ってたけど」
「へ?」
「心底本気かよ…」
顔は見えないが、聞いた事がないくらい疲れた声で言うザックスに、クラウドはなんとなく申し訳なくなってごめん、と呟く。
「いや、そういう風に持っていった俺が悪いのか?」
ぶつぶつと頭の上で呟くザックスに、なんとなく返す言葉もなくてクラウドは黙り込む。
「まぁ、いいか」
ひとしきりぐずぐず言ってすっきりしたのか、ザックスはぽんぽんとクラウドのチョコボ頭を撫でた。
「……怒ってない?」
クラウドが表情を伺うと、ザックスはいつもの飄飄乎した顔で笑う。
「だっておまえ、俺のこと好きだろ?」
「う、うん…」
「じゃぁいいよ、彼氏とか別に。」
あっさりと言ってしまうザックスに、逆にクラウドの方が不安になる。もしかして呆れた?と言うと、ザックスはまさかーとクラウドの金髪を掻き混ぜた。
「だっておまえさ、付き合ってとか真面目に言ったら逆に気構えして動けなくなるタイプだろ。」
「そ、んなこと…」
「だから外堀から埋めていこうとしたんだが…見事に外堀だけ埋まってた、みたいな」
「え」
「それで落とした気になってた俺も間抜けだけどなぁ」
ぽりぽりと頭を掻き、ザックスはじゃぁ、と居住まいを正してクラウドの手を取った。
「俺と付き合って、クラウド」
瞬間顔から火が出そうな位真っ赤になり硬直したクラウドの頬に、ほらぁ、やっぱりとザックスは笑ってキスをする。
「ちょ、ちょっ、待てって!」
「待てって何が」
「その、キスとか!」
「今まで飽きるほどやってんじゃん…」
やっぱり彼氏とか自覚してると違う?とか笑われて、クラウドは噴き出る汗を押さえるのに必死だった。視界の端に、さっきまでザックスが見ていたカタログのベッドの写真が見えて、さっきまで平気な顔で一緒に寝るとか言っていたのが嘘のように心臓が跳ね、やっぱり友達でよかったのかも、とクラウドは泣きそうになりながら思った。