入隊当初、男所帯の神羅兵の中でクラウドは非常に目立った。おとぎ話の姫君さながらの白い肌、金の髪と同じ色をした烟る睫毛に縁取られた色素の薄い神秘的なアイスブルーの大きい瞳、服から伸びる成長期前の細く引き締まった手足は少女のようで。さすがに近頃成長期を迎えて筋肉がつきガタイも良くなって「少女」からは脱却したものの、着痩せするせいか相変わらず線が細く、周りから無責任に浴びせられる称賛のお言葉も「可愛い」から「綺麗」に昇格――本人はまったくもって不愉快極まりないのだが。
口を開けば毒舌三昧、素行はともかく無口で無愛想と態度は最悪だったが、最近はそれも人付き合いの苦手な彼なりの精一杯の照れ隠しだと言うことが認知され、個性の一つとなんとなく受け入れられている。
そんなクラウドちゃん、周りとそれなりに打ち解けられるようになっても、自分の顔だけみて(たまには顔だけでなくその言動のSっぷりに魅かれてやってくる本物の変態も交じっているのだが、クラウドにしてみればそれこそ願い下げ)言い寄ってくる男共には容赦なく、撃沈された者は数知れず。
そんなクラウドにもこの度ついに恋人ができたらしい。難攻不落の高嶺の花ついでにとんでもなく飲んべえで、酒で酔わせて…などと不埒な事を考えた男共を幾度となく持ち前の肝機能で撃破してきたクラウドだったが、ある飲み会の夜、とある男にお持ち帰りされたらしいと噂がたった。
そもそもクラウドが飲み会に参加する事自体が非常に珍しく、一部の懲りない男達がクラウドに粉をかけたが悉く無念の討死。
その輪には加わらず生暖かくその様子を見ていたメンバーもほぼ上司が帰った二次会で例外なく酔いつぶれ最後まで理性を保っている人間は少なく、その問題のクラウドお持ち帰りされちゃった場面を目撃した人間は正確にはいなかった。
あれそう言えばクラウドってどうした?と幹事のイジィが気付いた時にはすでに午前様。クラウドの姿は店になく、それだけなら、あのクラウドのことだからどうせ勝手に帰ったんだろう、で終わる話だった。
「クラウドなら、ザックスと一緒にいるところ見たけど」と、翌日飲み代の集金に走り回っていたイジィに余計なことを言うやつがいなければ。
誰もが半信半疑だったその話、しかし「そういえばあいつも途中からいなくなった」と誰かが言い、俄然噂は信憑性を増した。
誰か本人にきいてこいよとお互いがお互いを嗾けあい、ついに満場一致でクラウドの数少ない友人に白羽の矢がたった。
彼は飲み会当日腹痛のため部屋で休養しており、それならば何事もないように装って、この前の飲み会どうだった?と聞いたとしても不自然ではなかろうと。哀れクラウドの友人アレシュは抵抗の甲斐無く数の暴力によって人柱に祭り上げられ、さながらベヒーモスの巣に単身乗り込む戦士の如き決意を迫られた。
そして彼がその決死の覚悟で臨み入手してきた情報は、周囲の期待を裏切らないものだった。
夜、疲れ切った表情で帰ってきたアレシュは(どうやらクラウドと酒を飲みかわしてきたらしいのだが)、固唾を飲んで見守る寮の一室に集った依頼人たちに、低い声でザックスさんだって…とだけ呟くと酔い潰れて正体を失い、しかしそれだけでそこにいる者たちには充分、皆まで知れた。
ザックスは年若いながらソルジャーセカンドに抜擢されたイケメンエリートで、とはいえ嫌味な所も偉そうなところもなく、明るく人脈広く皆から慕われて、少々女癖が悪い事を除けばまったく理想的な人物。
友人の少ないクラウドも珍しく彼には懐いているらしく、年は5つほど離れているものの仲良く食堂で軽口をたたきあっている二人が幾度となく目撃されている。
ここまでは大方の予想通り、ザックスだったら仕方ないか、まぁわかるわあいついい奴だし、仕方ねぇな諦めるか的な空気が皆に流れたその数時間後、意識を取り戻したアレシュの口から出たのは驚愕の事実だった。
「……どうしてくれんだ」
開口一番、ソファでレコードを掛けながら雑誌を読むという優雅な休暇を満喫していたザックスに、穏やかでない声音でクラウドは呻いた。
なにが?と言いながら家に乗り込んできた夜遊び息子の腕を引き寄せ、キスをしようとするザックスに、ちょっと待て万年発情期!との暴言と共に鉄槌を下す。いって、と笑うザックスは言葉とは裏腹に全然効いた様子もなく、その石頭相手にクラウドの拳の方が痛んだが、むかついたから平気な振りをした。
「今日アレシュに聞かれた」
「何を」
「あんたと付き合ってるのかって…アンタと飲み会抜けたの噂になってるって」
「おお、ついにきたか。」
ザックスの声が喜色を帯びる。
「なんでそんな嬉しそうなんだ。恥ずかしかったんだぞ」
「おまえは嬉しくないのか」
真面目な顔で聞き返されてクラウドはうっと詰まるが、そこで負けるわけにはいかない。嬉しそうに笑うザックスに一矢報いてやろうと口を開くが言葉が出ない。ん?なに?と促すザックスに対するにはクラウドの語彙は少なすぎた。散々迷った挙げ句、
「――手」
「?」
「びびって手出さなかったくせに言ってんじゃねーよ!」
「言い掛かりだろそれは!!」
――ミッドガルのチハヤ城(という堅固な砦が西ウータイにあり、ザックスはもちろん見たことはないのだが、それを最初にクラウドに例えたのはザックスの西ウータイ出身の友人、ウータイ地方に出張に行った折に話してくれた郷里の話)クラウドを見事陥落させたザックス、首尾は上々、何の障害もなく順風満帆と思われた――が。まさか酔っているとは思わなかった、クラウドの話だ。
クラウドの隣に座っていた男共が次々脱落しても当の本人は涼しい顔、顔色も平常で言動もいつも通りのつっけんどん。
しかし思えば、なぁ一緒に抜けない?と囁いたザックスの言葉にあっさり頷いたあたりに予兆があったと今から思えば辿り着く。
クラウドに思いを寄せる男が多いのは知っていた。(なんたって自分も数日前までその中の一人だったからだ)
だから余計に、その類の男共の危険度というか欝陶しさは身に染みて分かっていた。
ザックスのその、一歩間違えれば誰かに見られかねない危険な誘いには、多大な下心と共に、他の男達への牽制の意味もあった。多少見られる事も噂になる事も折り込み済み、寧ろ計算通り。
飲み会に来ていなかったクラウドの友人にまで話がいっていたのなら、まさにザックスの思惑通りいったと見ていい。一方のクラウドは好いた惚れたの話に自分の名前が登ることを極端に恥ずかしがったから、そこは年長者の汚さで「今抜けても誰も気付かないって」と言えば素直に頷いた。
付き合い初めて一週間、うぶなクラウドに合わせ手を繋ぐ事から始めたお付き合い、これは今日こそいけるかと思ってしまったザックスは負け組。まさかクラウドが素面な顔をして泥酔しているとは思いもしない。酒が入って普段よりはやたら素直なクラウドを騙し騙し寝室まで連れ込んでいざ事に及ぼうとした時だ。
「トイレ、行ってくる」
ここまで来て何事かと思う間もなく、組み敷いたザックスの腕の間をするりと抜け出し宣言通りトイレに行ったクラウドは、10分をすぎても帰ってこなかった。
クラウドは全く覚えていないのだが、その後心配して様子を見に来たザックスに対し、先ほどまでの従順な様子はどこへやら、ここは俺の陣地だあっちに行けとまるで小さな子供の様に言い放ち――そこで初めてザックスはクラウドが酔っている事を悟ったのだが時すでに遅し――まさかトイレに籠城が奥の手とは、ザックスも想定外。
初体験を13で済まして以来8年間の恋愛遍歴、女の子には事欠かずコツコツと順調に経験値を積み重ねてきたザックスが味わった初めての挫折感(挫折自体は何度かあった)。
なんちゅー変則技だと苦笑しながら煙草を慰みに、哀れザックスはそのままトイレのドア越しに一晩お預けを食らった。トイレの壁は、今までザックスの味わったどんな障壁より厚く高いものだった。合掌。
翌日、お約束と言わんばかりに俺はなんでおまえんちのトイレで寝てるんだよ!と扉を蹴破る勢いで飛び出してきたクラウドに、ザックスは笑うしかなかったのだが、それはいい。てっきりトイレに籠もる程拒絶されたかと思ったのが、実は酔っていましたと言うのならまったく問題ない。
「昨日のこと覚えてないの?」
と聞けば、まったく、とケロッとした顔で答えるクラウドは店で飲んでいた辺りから既に記憶が曖昧で、ザックスの家まで来た事はぼんやり覚えていたもののそれも夢かと思ってた、と宣った。
――そんな事情がありながら、その言い様はないんじゃないかとザックス、だいたい俺は臨戦態勢入ってた、怖じ気付いて逃げたのはおまえだろ!と反論しても、知るか俺は覚えてないんだ!というクラウドは完全に意固地になっている。
「だいたいおまえ、潔白な俺に万年発情期呼ばわりも気に食わん」
「じゃぁイ○ポ」
あまりにあまりの暴言にさすがのザックスもかちんと来たらしくむっと眉を寄せる。だいたい勃たなかった訳じゃない、逃げられただけだ。
「おまえな」
さすがに言い過ぎたかとクラウドの胸中ちくりと罪悪感が湧いたが、そんなところで引き返せない頑なさがクラウドらしい。でも、と新たに口火を切り、今度こそザックスを黙らせた。
「アレシュに言っちゃったもん、俺、途中で寝ちゃったって」
「…な!」
クラウドが寝てしまったのは事実だが、真実からは遠く離れて語弊がある。
だいたい途中で、というがそもそも事に及んですらいないのに(その辺り非常にザックス的には男の沽券に関わる!と鼻息荒いのだが、途中で寝られるのとトイレに籠もられたのと、情けなさにあまり変わりない気はするとクラウドは思う)、ひどい言い種だと言わんばかり不満の声をあげた。
しかもこの文脈で言うと、まるでクラウドが寝てしまったのはザックスに責任があるみたいではないか。納得いかん!と断固抗議するザックスに、でももう言っちゃったもん!とクラウドはますます意地を張る。
「それなら」
急にザックスが今までより声のトーンを一つ落としてクラウドの腕を掴んだ。あからさまにびくっとクラウドの肩が震えて及び腰になったのは、さっきまでの冗談と違うザックスの魔晄の瞳に射ぬかれて本能的にやばいと思ったからだ。
「月並みだけどな、試してみるか?」
「……っ」
ひ、とクラウドが息を飲む。振りほどきたいが、ザックスの手はびくとも動かず、むしろクラウド相手に大人気ないくらい強い力で拘束される。
「どーせ俺、明日から甲斐性なしやら下手くそやら笑い者にされるんだぜ」
「言わ……れるかなぁ」
「言われる言われる。クラウドファンのネットワーク舐めちゃ駄目だって。俺繊細だからさぁ、そんなんなったら落ち込んで立ち直れねぇよ」
他人に悪口陰口悪評批評叩かれようが歯牙にもひっかけない性癖で、どの口が繊細とか抜かすか、と平素なら一発拳付きで突っ込んでやるのにそんな余裕はクラウドに残っていない。自分のファンのネットワークの存在にを仄めかされていてもその異常さに気付く様子もない。にやにやと口元にいやらしい笑みを浮かべるザックスと逃げられないクラウドは正に捕食者と被捕食者。
「なぁ、だからさぁ」
有無を言わせず引き寄せて腰に手を回し掴んだ手にキスを落として、クラウド、と囁くザックスに死角はない。火がついたように赤くなるクラウド、15かそこらの口は一人前でもまだまだ田舎もの純朴さが抜けない少年相手にザックスが不覚を取るわけにはいかない。すっかり腰砕けのクラウドの手を打ってかわって優しく引いて、首筋にキスを降らせて囁く。
「今日こそいいよな?」
我ながら情けない言い回しだと思ったが、熱に浮かされたようにクラウドは瞳を潤ませてこくこくと人形の様に首を振った。
翌日ザックスは上機嫌。
なんたって朝起きたら可愛い恋人が腕の中にいて、とろけそうな笑顔でおはよう、と言ったのだ。まさに人生薔薇色、このまま死んでもいいとザックスは本気で思った。
怖い物なんて何もない。今なら雇用主にも、このテンションなら英雄にだって刃向かえてしまう気がする。
唯一の杞憂(と言うほどでもないが)はクラウドが友人に途中で寝たとか言ってしまったらしい事だった。
多少なりとも周りからそれについてからかわれる事を覚悟していたのだが、しかしいざ出勤してみるとそれもない。からかわれないのに越した事はないのだが、些か拍子抜けして頭をかく。
しかもなんとなく周りが優しいと言うか、むしろ憐憫の情でこちらを見てくるのは気のせいか。いつも絡んでくる同僚もなんとなく遠巻きに遠慮がち、なんか視線を感じて振り返るとあからさまに視線を外され、その不可解さに頭を掻いた。
喫煙所で同僚のソルジャーに、よ、と声を掛けられたのは昼休み。正直、上官やらソルジャーセフィロスにまで何やら憐れんだ目で見られた時にはぞっとしたが、とにかくそんな状況も落ち着いてきた頃だ。慣れたとも言う。
火ぃ貸して、ライター落としてん、という同僚の煙草に火を付ける。
「…聞いたで、あの例の、別嬪な一般兵の話」
クラウドを例の要塞堅固な砦に例えた西ウータイ出身のソルジャーは、煙草を手ににやにや笑う。
付き合ってる話、こいつにまでいったのかな、とザックスは思ったがどうやらそんな雰囲気ではない。
何が、とライターを仕舞いながらザックスは同僚の顔を見た。
「こっぴどく振られたんやって?」
「は!?」
「朝から噂なってたで?」
あれ、違うん?と言いながら煙草を吸う同僚の顔をぽかんと呆けた顔で凝視していたザックスは、尻ポケットに入れ損ねたライターが床に落ちる音で我に返った。
「俺とクラウドはラブラブだって…くそ!誰だンな噂流したの!」
「皆言うとったけど。ザックス可哀想やなぁって」
朝から感じた視線の理由はそれか!とザックスは足で床を蹴った。
真実でないとは言え、クラウドに振られた可哀想な男扱いされていたと思うと悔しいというか情けないと言うか、あの視線に腹が立ってくる。ということは自分はセフィロスにまで憐れまれたのかと思うと涙が出てくる。せめて誰か聞いてくれれば全力で否定したのに!とザックスは周りの冷淡さに地団駄を踏んだ。
「なんや、違うん?」
…とすると、面白がりつつこうやって尋ねてくれた同僚は幾分か優しいと言うことか。
「なんか飲み会でクラウド連れ出したのはいいけど、緊張して使い物にならんくて愛想尽かされたって……ありゃ嘘か?」
「嘘だ!!」
どんな醜悪な伝言ゲームだ!とザックスが叫ぶ。
「嘘ならええけど」
「なんだよ、まだなんかあんのか」
ぷは、と煙を吐きながら言う同僚をきっとザックスは睨む。
「クラウドがまたフリーなったって、リベンジ企んでた奴ようさんおった」
「くっそ!!」
床に落ちたライターも放置して、どこか(恐らくクラウドを探しに行ったんだろうが)走り去ったザックスは、ほんま幸せなやつ、と同僚がため息をついたのにも勿論気付かなかった。聞こえていたとしても否定しなかっただろうが。